2012年01月19日

「幸せ」の定義・2

〜「言葉」の奥にあるもの〜

「幸せ」について何を書こう、と思いを巡らせながら過ごしていたら、一日気分がよいのです。
たまたまかもしれませんが、嫌なことを思い浮かべるよりは、少しでも「幸せ」な記憶を引っ張り出そうとしているのだから、不思議なことではないのかもしれません。

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例えば、「私は楽しいことをしている時が幸せ!」と言う人と、「誰かの役に立っていると思える時が幸せ」と言う人がいたとして、その二人に対してどのようなイメージを持つでしょうか。

「楽しいこと……」の人は気楽な感じ、「人の役に……」の人は真面目な感じ、そんなふうに思う人がいるかもしれません。
また、どちらが自分の感覚に近いかによって、親しみを感じたり、反発を覚えるということもあるかもしれません。


けれど、考えてみると、この二つの言葉だけで、その<人となり>を知るのは実は難しいことだと思います。
こうして、文章を読んで感じることは、おそらく読んでいる人自身が持つ経験や価値観を多く反映した想像に基づいているのではないでしょうか。


楽しいことを意識して追い求めることで、仲間が増え、多くの人に何かを与えることができるかもしれません。逆に、自分だけの楽しみを追求し、自己中心になる可能性もあります。

人の役に立とうと考えるだけで実際には行動が狭まってしまうこともあるでしょうし、逆に、本気で取り組んで、本当に人の役に立っている人もいると思います。

言葉と実像の間には距離があります。
そして、実像すら、ひとくくりにすることは難しい、あいまいなものではないかと思うのです。
見る人によって、状況によって、記憶の長さによって……随分と違うような気がします。


これから時々、「幸せ」をテーマにいろいろな角度から考えてみたいと思っています。
多くは私という個人の見方や記憶を頼りに、また時には誰かの話を聞いてみたいと思っています。


今日の私の幸せは、「読んでくださる人を思い浮かべながら、文章を書くことの幸せ」を感じられることです。
posted by サトウマリコ at 00:23| Comment(0) | コラム

2012年01月17日

「幸せ」の定義・1

〜「幸せ」って何?〜


先日我が家で小さなホームパーティをしました。

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6月にあるご夫妻を見送りました。そのお二人との思いがけず早い再会でした。

3月に、釣具店を営んでいた陸前高田市で、津波に遭い、九死に一生を得たお二人は、しばらくの間盛岡市の温泉宿「愛真館」で避難生活を送り、やがてカナダへと旅立っていきました。

ちなみに、そのことに少しふれたお話をこのブログで6月22日に紹介しています。
http://satoblog.sblo.jp/archives/20110622-1.html

盛岡に滞在中、3度ほどお会いしました。
夫同士が旧知の仲という関係でしたが、いつも会う時はお互い夫婦そろって、和やかに過ごさせてもらいました。
一度は家へも泊まってもらい、共にした時間は短くはなかったと思います。


震災の時のこと、たわいもないこと、いろんな話をしながら、お互いの夫婦が目指す理想の生活って何? どちらからともなくそんな質問がでました。

その時のご夫妻の答えは、「優雅な生活」。
そして、その生活を目指す一歩として、震災前から描いていた通り、外国へと旅立っていったのです。
私たちは、家に眠っていた少し年季のはいったスーツケースをお貸ししたのです。


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今回は、一時帰国ということで、長い滞在ではありませんが、予定より早くスーツケースは私たちのもとへと返ってきました。旧式のものですが、少なからずお役に立てたようです。
貼られたシールが誇らしげに見えます。


持ち寄ってくださったおいしい手料理をいただきながら、今回もゆっくりと時間を共有しました。
暮らしやすいと言われている、バンクーバーで体験したことから感じたこと、移動後のサンディエゴの話……なるほど、実際に行ってみないとわからないものだな、と新鮮な話ばかりです。

そしてまた、ご夫妻は私たちに聞きました。

行ってみたい国はどこ?

そもそも、どこかへ行こう、行きたい、という将来を描いていなかった私は歯切れの良い答えができません。逆に問い返すと、二人はそろって「楽しいところ!」「そして食べ物がおいしいところ!」と答えました。

ちなみに、最初の質問…どんな生活が理想か? に対する私たちの答えは、「人の役に立つことをしたい」でした。

そして「楽しいところ」という答えを受けて、私が考えたことは、「楽しい」ってなんだろう? でした。

多分、少なくとも私にとって、「楽しい」は盛岡を離れなければ経験できないこととは限らないような気がします。

けれど、今明確に、これをしていれば「楽しい!」「幸せ!」と結構大きな尺度で思えるものがないのも確かです。


私たち夫婦は、相手のご夫婦と対照的な価値観を持って、対照的な行動をとっているようにも思えます。

でも、お互いの心地よい距離感が、その違いを興味深いものに感じさせてくれるのです。

「楽しい」って何?
「幸せ」って何?

これまでも、時々、人生で顔を出したことがある問が、また自分の胸に拡がり始めました。

「幸せ」を定義づけすることはしません。

ただ、いろんな「幸せの定義」について考えてみたくなったのです。


ちなみに、今日、外での仕事が終わったあと、夜空を見上げました。そこは高台で盛岡でも星がとても綺麗に見える場所です。
オリオン座を見つけました。
私はオリオン座が子供の頃から好きなのです。
ふっと一瞬感情が走りました。その時、私は「幸せ」を感じたかもしれません。(続く)
posted by サトウマリコ at 23:50| Comment(0) | コラム

2011年12月30日

新しい年にむけて

2011年が暮れていきます。
忘れられない年、と感じている日本人や、関心を持ってくださる世界中の方が多くいると思います。
私もその一人です。
そのことには変わりありません。

しかし、当たり前のことかもしれませんが、2011年が終わったからといって、その忘れられない理由を過去のことにできる、というわけではありません。
実際のところ、私は、本当に3月以降の出来事に向きあっているという自信がありません。

直視すると、耐えられないような気がして、目を逸らし続けていることがあります。
もっとできることがあるはずなのに、動いていない自分にもどかしさも感じています。

もどかしさを感じつつも、動けないことには私個人の理由があり、それはそれで認めようと思っています。

つまるところ、私自身は、これまでもこれからもどこかへ向かっていく途中、ということです。

それは、3月の震災についてだけではありません。

地球上には沢山の問題があります。
私たちはその全てに対して深く関心を持つことは難しい。

どうにか、自分のできること、するべきことを見極めて、やっていくしかないと思っています。

ここまでやってこれたのは、なんらかの形で関わってくださった多くの方々と、自分をとりまくいろいろな世界のおかげですね。
全ての経験に感謝しつつ、新たな年を迎えたいと思います。

このような心境のこの頃です。

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皆様は、どのような年末をお過ごしでしょうか。
新たな年を穏やかに迎えられますよう、お祈りしております。


posted by サトウマリコ at 19:06| Comment(0) | 日記

2011年12月28日

作品6

利用者様、ブログ読者様からお預かりした作品を掲載しています。
今回は、うのあ様の絵画作品です。

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タイトル 「こころ」



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タイトル 「音」
posted by サトウマリコ at 22:59| Comment(0) | 作品紹介

2011年12月20日

利用者の方から9

利用者の方から感想をいただきました。
今回は、「センセーション・カラーセラピー・ラブカラーズ」を、カウンセリングの中で体験していただいた30代女性の方の感想です。カラーセラピーがどんなものか、もっと多くの方に知ってほしい、との考えに賛同いただき、掲載を快諾していただきましたので、ご紹介します。(いただいた時点からタイムラグがあります)
※カラーセラピーには、考案者によって多くの種類がありますので、今回はあくまでも<カラーボトルセラピー>のうち、上記のセラピーのご感想となります。

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カラーセラピーというと「色に癒されましょう」みたいなものだと思っていて、自分を掘り下げて考えたいタイプの自分にはあまり縁のないものだと思っていました。佐藤先生から実際のカラーセラピーについてお話を聞いて、カラーセラピーに抱いていたイメージとはかなり違うものだったので実際に受けてみたいと思いました。

 最初は自分の性格を色に当てはめて、「あなたはこういう人ですよ」という答えをもらう感じのものなのかな?と思っていましたが、実際に受けてみての印象は、人間の持っている特徴をタイプ別に分け、それらの各特徴のシンボルとして各色のボトルが扱われているといった感じを受けました。そして目の前に並べられたボトルがあると各色に割り当てられた特徴が理解しやすい感じもしました。
 一色に対して何問も質問があり、「はい・いいえ」だけで答えるのですぐ簡単に答えられるものもありましたが、今まで考えたこともない質問には答えを出すのにかなり時間がかかりました。でも答えを無理に出そうとするのではなくて、一番自分の中にある感覚にしっくりくるものを探っているような静かな感じがしました。中には自分でも「それ、自分でも困っているのよね」と思っているものが質問に出たときは身体も反応して肩が重だるくなったりして、いつの間にか目の前にあるボトルというか人間のもつ特徴に深く入って考えていたのかもしれません。

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 質問に答えた後はその色に割り当てられた人間の特徴等の説明を受けたのですが、その特徴は単一的なものではなく、日常のコンディションや状況で表れ方が変わってくるというのを知り、よく聞く「人間は色んな面を持っている」という言葉って本当にそのとおりだなと感じました。また自分の持っている色(特徴)は一色ではなく複数なので更に自分にも色んな面があって、自分が知っている自分の一面に対しては再度確認ができましたし、自分の意外な面には驚きました。自分の知らない自分を知るのは最初抵抗があるようにも思えましたが、実際はそんな事はなく、むしろ優しく自分の中に受け入れる準備ができました。また自分を確認できると周囲の人たちもまた色んな面を持った存在なんだなと思えてきて、いつもだったら「あの人はああだから」と決め付けて考えたくなる部分がちょっと変わって、この人は今こういう面が強く出ているだけなのかも…とも思えている時も出てきました。

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 私は自分の感情や求めているものを置き去りにするところがあるのですが、自分の今の傾向を知り、「ああ、自分は自分を大切にするために実際にこういう方向で進んでいこうとすればいいのか」とか「私はこれが望みだったのか」と気づく事ができて本当にうれしかったしホッとしました。意外と自分の本心や望みは自分一人では気づかないもので、自分を大切にするどころか自分にいらないプレッシャーをかけたりしてしまうのですが、先生と自分の気持ちを探っていく作業を通して自分を守る方向性がはっきりしました。カラーセラピーはイメージとはいい意味で全く違っていましたが、本当に受けてよかったなと受けてから更に思いました。
posted by サトウマリコ at 00:54| Comment(0) | *利用者様の声

2011年11月30日

作品5

利用者様、ブログ読者様からお預かりした作品を掲載しています。
今回は、弥七どん様のコラム作品です。

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「悲しい歌」



ビートルズの"Hey Jude"というとてもとても有名な曲がある。
こんな出だしである。


Hey Jude don't make it bad
Take a sad song and make it better

なあ ジュード そんなにくよくよしないで
悲しい歌でも歌えば 少しは気が晴れるよ


名曲といっていいと思うけど、これがとくに秀逸なのは"Take a sad song and make it better" というところだろう。
これが「楽しい歌でも歌えば気が晴れるよ」では、あまりにも凡庸きわまる歌になってしまう。

これからわかることは二つある。
ひとつ、悲しい時には、むりやり楽しい気分になろうとするより、むしろその悲しい気分にとことんまで沈潜した方がよいということ。
ふたつ、音楽というのは、その内容が悲しかろうと楽しかろうと関係なく、音楽そのものがもともとポジティブなものだということ。


そんなことを、少し、思った。
posted by サトウマリコ at 14:14| Comment(0) | 作品紹介

2011年11月19日

作品4

利用者様、ブログ読者様からお預かりした作品を掲載しています。
今回は、うのあ様の絵画作品です。

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posted by サトウマリコ at 19:03| Comment(0) | 作品紹介

2011年11月17日

利用者の方から8

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利用者の方から感想をいただきました。
これからカウンセリングを受けられる方・受けるかどうか迷っている方の参考になると思い掲載をお願いしたところ、快諾いただきましたので、紹介します。(いただいた時点からタイムラグがあります)

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こんばんは、○○です。カウンセリングから1ヶ月が経とうとしています。感情の波は以前よりはかなりなくなりました。「私はこれをするんだ」という軸が見つかると、いいですね。今は孤独な戦いですが、気持ちは萎えていません。遠慮がちにですが自分の将来の希望も口にできています。


私は今までずっと、「本望」の周りで目を瞑りながらデタラメに走ったり、背を向けてむっつり座って居たような感じでした。

カウンセリングを受けるようになって、「本望」に面と向かって良いのだし、目指して走っていっても良いのだと思えるようになりました。

カウンセリングを始めた当初は、本当に悩んでいることを無意識に隠そうとする自分がいて、我ながらとても戸惑いました。
悩みは確かにあるんだけど、どうしても「私の悩みはこうなんです!」とストレートに言えませんでした。もっと苦痛を訴えたいけど、「いや、よく考えたら別にそんなにしんどい訳じゃないかな…?」などと思ってしまうし、自分の感情が分からなくなりました。
その時々で、心を不穏にする問題(主に仕事のことや職場の人について)について話をしていましたが、
本当に話したいことは違うだろ!と内心いつも思っていました。

その事で大分モヤモヤ・イライラしましたが、思えばこれが気付きの始まりだったんだなぁと思います。


私は“放って置かれることに慣れている”状態でした。寂しいからって惨めに甘えて迷惑かけたりしないことにプライドを感じていました。可愛くない女になるはずです。
やがて自分の感情にも他人の気持ちにも無関心になって、そのことによって、様々な悩みを作ってきてしまったんだなと自分の中で納得しました。悩みの根元が分かって、これからどうしていくかを決められたら楽になりました。

カウンセリングを受けて良かったなと思います。誰かに頼る行為は私に必要なことでした。
良くない状態が続いたら、改善に努める。自力が無理なら早めに誰かに頼る。
これが大事だなとつくづく思いました。


悩んでしまったときは、またお世話になります。
これからますます寒くなりますが、風邪などひかずに過ごしたいですね。


ありがとうございました。

(20代女性)
posted by サトウマリコ at 14:51| Comment(0) | *利用者様の声

2011年11月10日

クモの巣・9

「<つながり>と<孤独>」

最近、クモの巣らしいクモの巣を見てから、連想したことは「ネットワーク」という言葉でした。

人は、誰かと繋がりながら生きているなあ、とか。
何かをしようとしたら、自分ひとりではなく、心をひとつにできる相手を見つけて網目のように組織をつくるといいのかなあ、とか、そんなイメージです。

同時に、目に入ったのは、クモの姿。

クモの巣は点と線のつながりに見えるけれど、そこにいるクモは孤独でした。

たった一匹で網を張り、孤独に獲物を待って生きているように見えます。
繁殖のためにはそれなりのしくみはあるのでしょうが、普段見ているクモは群れていません。

少し考え直しました。

「心をひとつに」することは可能なのでしょうか。

少なくとも簡単にはできることではないように思います。

家族や職場や仲間など、何かに所属していることは多いかもしれませんが、心は「ひとつ」というよりも、「ゆるやかに」繋がっているような気がします。

あまり相手に求めすぎると、失望することさえあります。


子育てで悩んでいる「親」がいます。

子育て以外のことで悩んでいる「親」もいます。

「子ども」は、「親」というものは自分にとって絶対的に味方であってほしい、自分を愛するべきだ、と思っていたりします。

親子の形にはいろいろあるでしょうが、その親子ですら、相手の心は自分の理想通りには在りません。

そのことに気づくことは、寂しいことでもあるけれど、本当に自分の足で立つ時期に来ているのかもしれません。

他人とは尚更です。

心が重なることは、嬉しいことかもしれませんが、求めすぎるとつらくなることがあります。

そもそも人が孤独であるということに気づくことは、人とのつながりを上手に作っていくための大切な通過点なのかもしれません。



さて、何週間もの間、クモの巣を眺めながら、私は心の中で沢山の対話をしてしまいました。
今日のクモは……車を降りて確かめると、糸の一本も見当たりませんでした。
また、そのうちひょっこり顔を出すのでしょうか。

私の心の中での呟きも、またいつか形を変えて書いていきたいと思います。<了>
posted by サトウマリコ at 21:30| Comment(0) | コラム

2011年11月04日

クモの巣・8

「『本領発揮』か?」

今朝、車に乗る時に、今までになく立派な巣が目に入りました。

これまでの巣がはっきりとした形を成さない断片だとしたら、多角形のいかにも「網を張っている」風情の巣です。しかも、端はしっかりとウィンドウを避けて、ウィンドウのカバーと、ドア本体と、ミラーに繋がれているので、窓を開けても壊れることはありません。どうして、クモにこのようなことができるのでしょう。
なんだか少し興奮して、また信号待ちの時にじっくりとその幾何学的な模様を確認するように眺めました。

大きさは大体A4判の書類よりひと回り大きいくらいでしょうか。
最初こそ、今まで見たことのなかったそのクモの巣らしい巣に興奮しましたが、よく見ると、放射線状に伸びる糸の間隔が不揃いです。これは、何か意図があるのか、それともアバウトなのかわかりませんが、その完璧ではないところが妙に心をくすぐります。

クモとの距離感をとっていたとはいえ、付き合いも長くなってくると、どうも身内のような感覚がでてきます。
帰りには、ガソリンスタンドに寄りましたが、スタンドのお兄さんとのやりとりで、巣が壊れてしまわないよう、窓を開けず、一回毎にドアを開けてやりとりするほど、気を使ってしまいました。

「私もね、今ちょっと挑戦していることがあるんだよね」
心の中で、そんな呟きが生まれました。
よくわかりませんが、クモの巣を見ていたら、そう云いたくなったのです。
実際今いくつかのことに挑戦しています。
クモは多分、まだ本領を発揮していないような、そんな気がしています。
私も多分、まだこれからも成長できるのではないか、という気がしています。

時々、人生があと何年くらい続くか、と考えることがあります。
例えば、あと40年、生きるとしたら、その時、日本はどうなっているだろう、と考えると同時に、自分や家族はどうなっているだろう、と思います。
どちらかというと、不安な気持ちになります。

逆に、あと10年とか、20年だとしたら、と考えると、気持ちがさっぱりします。
本当のところ、人生がいつまで続くのかは誰にもわからないでしょうが、今の自分は、ずっと先の未来の心配をし続けながら生きるよりも、限られた期間でやりたいことをやる、という生き方の方が性に合っているように感じます。


動物を見ていると、ほとんどの場合、「今この瞬間」を生きているように思えます。それはそれで趣があるように感じます。

でも、今日クモの巣を見てふと気がつきました。
クモの生き方には「時間」が組み込まれているな、と。


夜、再び車に乗ると、真ん中に大きな黒い影。獲物かと思ったら、クモそのものでした。
なかなか獲物がかかっているところは見かけません。
posted by サトウマリコ at 23:18| Comment(0) | コラム