2012年07月15日

講座終わりました

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前回、ご案内した「心をラクにする心理学講座」が無事に終わりました。
15名の参加してくださった方々、皆様に感謝です。


これは余談になりますが、昔、勤めに出ていた頃、企画の仕事をさせていただいたことがありました。
企画の仕事自体には、いろいろと細かく気を使うことはありましたが、例年通りの手続きを踏み、順調に参加者は集まりました。イベントには200名前後、作品募集には何百点という応募がありました。


その後、カウンセラーになって、自分でセミナーを企画してみました。
いったいどれだけの人に、セミナーの存在自体、いえ、主催している自分のカウンセリングルームのことを知ってもらうか、途方もない道のりでした。

今回は、サンライフ盛岡さんで開催させていただく関係で、広報の点では自ら動くことはありませんでしたが、おそらく参加された方は、このタイトルだけで判断した方も多かったのではないかと思います。
それだけに、きっと参加してくだる方は、真剣だし、興味があるのだろう、と想像していました。

私のほうとしても、これは自分がずっと以前から「やりたかったこと」として、自ら提案した企画なので、やっと「伝えたいことを伝える場が持てる」という感覚がありました。


「2時間という時間」は、それだけの理由や動機がなければ、人は簡単には作らない時間だと身に染みて感じていましたので、なんとなく予想はしていましたが、参加してくださった方の瞳が輝いていること!

私はなるべく会場と双方向の講義を心がけるようにしているのですが(もちろん無理強いはしません)、私の問いかけに、不思議とどなたかが自然に声を挙げてくださって、ごく自然に呼吸が合っていく、そんな感覚の講座でした。

いただいたアンケートもほとんどの方に「有意義だった」といっていただきました。

本当に、嬉しいことです。

拙いところ、2時間という限られた時間で、伝えきれないことは沢山あったと思います。

でも、少しでも、何かのきっかけになってくれれば、本望です。

依頼を受けての講座も、すごく嬉しいものですが、こうした企画もまたがんばってみようと思います。
posted by サトウマリコ at 23:30| Comment(4) | 日記

2012年07月02日

心をラクにする心理学講座

段々と暑くなるこの季節、体が慣れるまでは少し我慢が必要ですね。
節電も大切ですが、熱中症にならないよういろいろと工夫しなければ、と思案の毎日です。
みなさまは、いかがお過ごしでしょうか。

今回初めて、サンライフ盛岡さんにて講座を開催することになりました。
これは、1回完結の講座です。

7月11日(水)10:00〜12:00まで、参加費1000円です。
申込みはサンライフ盛岡さんまでお願いします。

参加した人が、楽しくわかりやすく学べて、そして何より「心がラクになる」ことを目指して、準備中です。

内容はこちらをご覧ください。
http://www.iding.org/sunlife/event/7.11koko.pdf
もしうまく見られない場合は、こちらからお探しください。
http://www.iding.org/sunlife/index1.html
posted by サトウマリコ at 22:36| Comment(2) | *講座

2012年06月03日

感情の記憶

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子供の頃、不思議に思っていたことがありました。

大人は昔、子供だったのに、どうして子供の気持ちがわからないんだろう?

例えば、大人にしてみればしつけや教育として当然だという理屈でも、子供心に「理不尽だなあ」と思われる叱られ方をした時に、よくそう思っていたような気がします。

そして、「私は、今のこの気持ちを大人になっても忘れないようにしよう」と決心したのです。


果たして、「大人」になった今、どうでしょう。


カウンセリングでは、カウンセラーは話し手の気持ちに「共感」をします。ここでの「共感」は、「同意する」という意味ではなく、「共に感じる」という姿勢で聴くということです。


自分でいうのもなんですが、大人の方と話している時と同じように、中学生や高校生と話している時も、すっと共感できる自分がいます。

あくまでも、本人とすっかり同じ気持ちになるのではなく「きっとこういう気持ちなんだろうなぁ」と自分の心で理解する、ということになるわけですが、それでも、「まったく想像ができない」ということは少ないほうだと思います。

カウンセリングに限らずとも、子供の頃や思春期の、沢山の悩みや葛藤の記憶が、今、人とのコミュニケーションに生きている、と思います。





今日、新聞を読んでいたら、石川啄木の生誕100年祭の記事がありました。

なんでも、啄木と歌手の故尾崎豊には共通点が多いとか。
啄木の「十五の心」の歌と尾崎の「15の夜」という響きを聞いただけでも、納得できる気がします。

それで、あらためて石川啄木の歌はいいな、と思い、自宅の書棚から以前買った「一握の砂・悲しき玩具」の文庫本をひっぱり出してみました。

(序)には、啄木の歌がいかに詠み手と読み手に「共通の感じ」があるか、ということが挙げられています。
素直にに、ずばりと、大胆に率直に詠んだ歌、と評しています。

一方、尾崎豊も子供の頃、父親に短歌を習った時に「素直に自分の思ったままを詠む」ということを教わったそうです。そのことが、彼の作る「ストレートに心に響く歌」に影響しているのかもしれません。





自分が話したことを誰かが共に感じてくれる、これはカウンセリングや、若しくはそういった聴き方をしてもらった時に起こる心の浄化作用につながることだと思っています。

そして、文学や美術や音楽といった芸術は、作者が想いを形に残し、時を経て、他の誰かがその作品に触れ、自分と「共通」の感覚をそこから得られたときに、やはり想いが重なったという心地よい作用があり、そして人の心にエネルギーが湧くのかな、と思います。

だからきっと、多くの人は、芸術を愛しているのではないでしょうか。





せっかくなので、久しぶりに紐解いた文庫本の中から、啄木の歌をいくつか紹介しますね。(著作権は切れています)
皆さんの心に重なる歌はあるでしょうか。

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頬につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず


たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず


こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて死なむと思ふ


やはらかに積もれる雪に
熱(ほ)てる頬(ほ)を埋むるごとき
恋してみたし


友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買い来て
妻としたしむ


不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心


城址(しろあと)の
石に腰掛け
禁制の木の実をひとり味(あぢは)ひしこと


ふるさとの訛(なまり)なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく


かの声を最一度(もいちど)聴かば
すっきりと
胸やはれむと今朝も思へる


考へれば、
ほんとに欲しと思ふこと有るやうで無し。
煙管をみがく。



posted by サトウマリコ at 23:54| Comment(0) | コラム

2012年05月01日

夜の桜

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5月になりました。

北日本もここ1週間ほどで急に暑くなり、一気に季節が変わったような気がします。
皆様はどのようにお過ごしでしょうか。


私は、自分自身の変化もあり、身の周りの変化もあったほうではないかと思います。そんな毎日を過ごすなかで、ほっとしたり、急に部屋の片づけをしたくなったり、時には怒りにふるえることも、悔しくて泣いたこともあり……けっこう、最近にしては珍しく、感情の揺れが大きい時期でした。

心理学を習った当初から、それまでに比べて「楽に過ごせるようになった」と感じていました。
今回もまた、更に以前との違いを感じています。

内面から湧き出てくるような、大きな怒りや悲しみといったものに出会った時、以前の自分は、その感情を引き起こした相手について考えることが多かったと思います。ほとんどがそうだったかもしれません。
「なぜ、こうしてくれなかったの」
「なぜ、そんなことをいうの」
といった調子です。

ここ最近のある出来事で、私は感情を少し乱すことになってしまったわけですが、相手がどうなのか、ということよりも、相手の言葉や態度に反応する自分の心を見つめようとしていることに気がついています。

こういう時…大きく感情を乱される時というのは、冷静に自分を見ることは簡単ではありません。
だから、ちょっと気持ちの修正には時間がかかっています。

ちなみに何か人間関係のトラブルがあった、というようなことではなく、ふとしたことで、昔の嫌な感情が甦った、という感覚です。

自分が一番、どの部分にこだわっているのか。
満たされない感情は何なのか。

それを丁寧に見つめていきます。

次のステップとして最近よく見かける心理的な解決法は、<未来に向って>「どうなりたいか」「どうすれば解決するのか」というアプローチです。
実際、私もカウンセリングをしていて「必要だ」というタイミングでは、そのような質問をクライエントさんにします。

でも、今回は少なくとも今はそれをする必要を感じていません。

その段階ではない、と感じるのがひとつと、何よりも、戻すことのできない過去のこと・変えることのできない相手を前に、まずは無力である自分を自覚しなければならない、と思うからです。

「哀しい」も「悔しい」も「怒り」も、全部自分が生み出した感情です。
周りで起きたことは、私を中心に起きたことではないのです。
私が自分を中心に考えた時に、そのような感情が生まれてきたのです。

だから、自分自身をじっと見つめなければならない、と考えるのです。

そこが、昔と変わったことです。

そして、心理学やカウンセリングは魔法ではない、このことも学んだ当初からわかっていた筈ですが、あらためて肝に銘じています。
最終的に、自分の心と向き合うのは自分なのだと思います。焦らず、少しずつでも、向き合っていくうちに光が見えてくるかもしれません。心も季節と同じように「変化」していくものだからです。

マイナスの感情を感じることで、悩んでいる方が多くいらっしゃいます。
けれども、時にそれはごく自然に起こることなのだとお伝えしたいこともあり、「わたしの内面」の話をしてみました。


そんな感じの今日この頃で、気分的にはあまりパワーが溢れているわけではないのですが、最近心がけているのは、一つひとつ身の回りのことを丁寧にやる、ということです。
忙しさに紛れてか、少し遠くに視点を置いていたせいなのか、モノも気持ちも丁寧に扱っていなかったような気がします。
最近は、目についたところを一日にひとつでもふたつでも片づけています。食べ物や物の整理など生活を丁寧にしていくと、気持ちも落ち着いてくるのは不思議なものですね。

写真の画像はかなり粗いですが、夜の桜と月です。
posted by サトウマリコ at 23:04| Comment(2) | 日記

2012年04月06日

新しい、ということ

新年度が始まりました。

環境が変わったり、気持ちを一新して、という方も多いのではないでしょうか。

新しい職場、学校、友達やパートナーとの出会い等など、春はワクワクする気持ちとともに少し緊張をともなう季節かもしれませんね。

何度も繰り返しているはずのこの季節ですが、私にとってはやはり新鮮味を感じられる時です。

特に仕事の内容や体制が変わったり、新しい計画を立てたりすると気持ちが引き締まります。


でも、しばらくして慣れてくると、段々その緊張感が薄れてきたり、気持ちが弛んできたりします。
人間関係での変化もその頃に起きてくるでしょうね。
初対面の頃はお互いに気を使っていたり、姿勢が低かったりするのが、少しずつよくも悪くも「自分らしさ」が出てきてしまうのだと思います。

もし、「新しい」という刺激がなく、ずっと同じ環境で同じ人と同じ作業を繰り返していたらどうなるかな、と考えたりします。
やはりちょっと、「閉塞感」とか「馴れ合い」とか「惰性」というようなものが蔓延するような気がしないでもないです。
反面、同じ環境に居続けられるからこそ「職人技」が身につけられるのかな、と思うこともあります。

私は以前は、後者のほうが大切だと思っていました。せっかく覚えたことや築き上げたものをゼロにするのはもったいないな、と。

今は、案外ゼロでもないんだな、と思えます。

一見、畑違いの場所に来たとしても、自分の中に蓄積された経験は何かの形で融け合っている。
それを、「新しさ」という刺激によって、上手に表現できればいいのではないかな、と。


やっと長い冬が終わろうとしています。
気持ちも新たに、心身共に、穏やかな春の陽を浴びることができるといいですね。


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posted by サトウマリコ at 00:00| Comment(0) | 日記

2012年03月14日

作品8

利用者様、ブログ読者様からお預かりした作品を掲載しています。
今回は、うのあ様の絵画作品です。

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posted by サトウマリコ at 10:35| Comment(0) | 作品紹介

2012年03月11日

これから

今日、午後2時46分、出先のある場所で時報とともに黙祷し、1年前の東日本大震災で命を落とされた方々のご冥福をお祈りしました。

真っ直ぐにその方向に気持ちを向けた時、心に蓋をしていたものが少し弛み、出てきました。

20年も前のことです。

それでも、昨日のことのように思い出されます。

3年間、沿岸の町で暮らしました。

そこで出会った、街並み、地元の人々、仲間、匂い、沢山の想い出。

その全てを考えること、どうにかしようとすることは私には途方もない作業のように感じていました。


個人的なことには目をそらしている部分もありましたが、1年間、毎日、少しずつでも現地の話を見聞きしてきました。

そして今日も、ご縁があり、ある講演を聴きに行ってきました。当日の夜にはボランティアセンターを立ち上げ、翌日には現地入りした方のお話です。それから、南相馬市から盛岡に避難されている方の生の声も聴かせていただきました。


非力でも、微力でも、少しずつでも、これからきちんと向き合って、自分ができる心のケアに取り組み続けたいと決意を新たにしました。

ここのところ、何ができるか、どのような形でできるかを考え、またリサーチをしてきました。
「忙しさ」はその一部でもありました。
すぐには「形」にならないかもしれませんが、少しずつ「行動」に変えていきたいと思います。

自分にできることをする、そして、同じような思いをもつ皆さんと、力を合わせてやっていけるよう、お一人おひとりとの出会いをあらためて大切にしていきたいと思っています。
posted by サトウマリコ at 22:41| Comment(0) | 日記

2012年03月03日

作品7

心理学プライベートレッスンの受講生の方から、素敵なプレゼントを頂きました。

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手作りのキャンドルです。
色身がとても綺麗です。

ゆらぐ炎に癒されるという方のお話をよく聞きます。
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カウンセリングルームのテーブルに飾らせてもらいました。P3030157.JPG
posted by サトウマリコ at 21:46| Comment(0) | 作品紹介

2012年03月01日

幸せの定義・9

〜「忙しい」という幸せ〜


久しぶりにブログを書きます。
「ずっと書きたいことは頭にあったのに……」と出だしの文章を考えながら、ふと気になることが浮かびました。

自分が忙しいと思わせることを他人にいうのは、美徳ではないという、いわゆるビジネスマナーがあったような……恥ずかしながら、うっすらした記憶を辿り、自分がそれについてあまりつきつめたことがなかったので、調べてみました。

例えば、「最近忙しい?」と聞かれて、素直に「もう忙しくって大変」と答えるのは、ある意味「自慢」にあたるという場合があるようです。
会社や自営業でいえば、その裏には「儲かってますよ」とか「自分は有能な人間でひっぱりだこなのです」というメッセージを相手が受け取りかねない、というわけです。

そういう私は、若い頃、組織の中で先輩達の会話を耳にしながら、本当は忙しいのに、謙遜した表現を使っていることを、ちょっと不思議に感じていました。
私自身は、自分が忙しいということを隠すことには無頓着だったように思います。
暑ければ「暑いね」、お腹が空けば「お腹空いた」というのと同じように、忙しければ「ちょっと最近ハードで」などと言っていたように思います。

他にも「疲れた」「つまらない」などとマイナスの言葉を口にすることは、他人にも同様の気分を伝えるので、抑えるべきだ、という考え方があるようです。

いろいろ総合して考えると、場面によって、また人によって感じ方が違うようです。

例えば同じ仕事をしている仲間うちで「今日は忙しいね」「おつかれさま〜」というのは、いたみを共有するという意味ではよい場合もあるでしょうし、それでも違和感を覚える方もいるようです。

取引先に対しては、「忙しくて」というのは、やはりマナー上、よくない場合も多いように感じます。

また相手によっては、マイナスの言葉だとしても、正直に自分の状態を伝えることがコミュニケーションとしては必要な場合もあると思います。

ということで、杓子定規に「忙しい」といってはいけない、ということではないようですが、場合によっては気をつけたほうがよいという理由をあらためて確認できました。



さて、本当は何を書きたかったのかというと、「忙しい」ということの中にある幸せについて、でした。

つまり、前回からブログを書くことに心があるものの、日々の「しなければならないこと」をこなすことがやっとで、書けなかったのです。
時間は自分で作るもの、といわれることがありますが、どう作ろうとしても、仕事とプライベートと合わせて、他の優先順位が高いもので精一杯、という状況でした。

結局こうして、私は忙しかった、と言っているわけですが、特に自慢ではありません。
よく考えてみると、そういう状況を作ったのは、ほかでもない自分だからです。
忙しくなるだろうことがわかっていてそうしたのです。

忙しいことで疲れがでて、一瞬見失いかけましたが、もう一度なぜ自分がこの状況を作ろうとしたのか、と考えました。

何かを得ようと思ったからです。

疲れてしまうと、休みたい、と切に思ってしまうのですが、自分を先に追いつめることで自分の中からエネルギーを引っ張り出せることもあるように思います。

さて、自分は何かを得られたか? それは、これからゆっくり考えようと思いますが、少なくとも「やらないよりはやってよかった」ということになると思います。


多くの格言・名言を残したことで知られるアメリカの作家、マーク・トウェインの言葉に「忙しいこと、人間の唯一の幸福はそれだ」というものがあります。

彼は皮肉屋で有名だったので、この言葉を解釈すると単純に忙しいことが幸福だと言っているのではなく、「忙しい時には、不幸について考えている暇はない」とも受け取れます。


私としては、また少し違った角度から、忙しさの質が幸・不幸をわけるのではないかと考えます。

質のよい忙しさと、その途中にある、ゆったりとしたくつろぎの時間、どちらも今の私には「幸せ」と感じるもののひとつです。これらをバランスよく取り入れた生活をすることが、私の目指す幸せなのかもしれません。


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posted by サトウマリコ at 14:01| Comment(2) | コラム

2012年02月12日

幸せの定義・8

〜幸せを探すコツ・幸せの種類を考える〜

コラムの最初のほうで、「幸せの定義づけはしない」というようなことを書きました。
タイトルと矛盾するようですが、それぞれの人にとっての「幸せの定義」はあると思うのです。

でも、何が幸せなのかは私が決めることではない、だからこそ、いろんな「幸せ」について考えてみたい、と思ったのです。

そして、このコラムを書いている間に、ちらほらと、いろんな人の「幸せ」の話を聞くことができました。
コラムを読んでくださって、それを意識して話してくれた方もいれば、特にコラムとは関係なく幸せを感じた瞬間について話してくれた方もいます。


具体的な内容は書きませんが、いろんな人のお話を聞いて私が感じたことは、幸せにはいろんな種類があるんだなあ、ということです。

例えば、毎日、ふとした瞬間に感じる「一瞬の幸せ」があるとすれば、長い間の「幸せな時代」とでもいうようなものもあります。

それから、時間の軸を意識してみると、「過去の幸せの記憶」、「未来に描く幸せの夢」、そんなことを<今>意識することで、感じられる幸せがあります。

そしてまた、「一人で感じることのできる幸せ」や「一人でしか感じることができない幸せ」があれば、「自分以外の存在があって感じられる幸せ」もあります。

「自分が幸せなことに気づいている」場合があれば、自分では意識していないけれど、他人から見ると充分幸せ、ということもあると思います。


これだけ、例を挙げただけでも、自分では忘れていた<幸せ>がいくつか思い浮かんできたりしないでしょうか。


時々、カウンセリングでの会話で、「そして、幸せを感じる時間を少しずつ増やしていきましょう」とお話させていただくことがあります。

自分にも当てはまるのですが、嫌なこと、否定的な考えに捉われている時間が長いほど、幸せを感じる、あるいは心地よさを感じる時間は必然的に少なくなるわけです。

人間には、習慣づけというものがあるので、こういったことも毎日の癖になってくると、どんどん「幸せな感じ」から遠ざかっていくような気がします。

探せば「幸せな瞬間」はあるのだろうけれど、毎日何かしら、嫌なことのほうがインパクトがあるかもしれないですね。
その嫌なことを感じている時間を減らすにはどうしたらよいでしょうか。

これもまた、人それぞれ答えは違うはずなので、カウンセリングというものは、それを考えるための時間である、ということにもなりそうです。

私も、私自身の幸せな時間を増やせるように、模索し続けています。


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posted by サトウマリコ at 00:17| Comment(0) | コラム