2011年09月12日

欠けていても

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秋は月を愛でる季節なのですね。

今夜は中秋の名月。十五夜です。

実際に夜空を見上げると、ぼんやりと輪郭がわからないなかにも、しっかりと輝く小さな月が浮かんでいました。

オートでもシャッター速度の遅い夜景モードで撮影してみました。





欠けてなほ縁確かなる後の月


恥ずかしながら8年も前に詠んだ拙句です。
最近句はすっかりご無沙汰しています。

「後(のち)の月」というのは、十五夜の次の十三夜。満月には少し早い欠けた月です。
三日月とも違う、少し丸には足りない、という形。栗名月ともいいます。
ちなみに、今年の栗名月は10月の9日のようです。

この句を詠んだ当時、見上げた月は、くっきりとした輪郭を持ち輝いていました。
10月なので、今より肌寒く、けれど凍えるような寒さではない。澄んだ空気の中、その月を見上げていました。

私には、満月よりも少し欠けたその月の、凛とした縁取りがとても美しく感じられました。

何かが足りなくても、誇りを持ってしっかりと立っていたい。
そんな心境だったのでしょうか。強く「後の月」に惹かれていたように思います。


今はまた、今夜のようなやわらかいあいまいな月の心もとない感じも、そのままに受入れたい、そんな心境でしょうか……。


9月11日が過ぎました。
季節が少しずつ変わっていきます。


posted by サトウマリコ at 22:46| Comment(0) | コラム

2010年12月26日

「価値あるもの」

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最近、興味深いコラムを読みました。

書いた方は、今年のベストセラー「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の著者、岩崎夏海氏です。
私は「流行りもの」というのに背を向けてしまう癖があって、ベストセラーをあまり読まないのです。読んだ本があとからベストセラーになることはありますが……。ということもあって、失礼ながら著者の岩崎氏のことは詳しくは存じていません。

興味深いコラムというのは、その岩崎氏が、これから本を出すに当たって「興味を持っている」対象として挙げられた、フィギュアスケーター浅田真央選手についてのコラムです。

「日経ビジネスオンライン」に会員登録(無料)すると読める、「なぜ浅田真央はぼくの胸を打つのか」というシリーズの第一回<パリで浅田真央さんは「私はスケートが好きなんです」と言った>というものです。

そもそもなぜ岩崎氏が浅田選手についてのコラムを書くことになったのか。当初浅田選手に「興味を持っている」こと自体、意識していなかったようです。ですので、編集者から「何に興味があるのか」と訊かれ、ふいに自分の口をついて出た「浅田真央」という言葉に、あらためて思いを馳せてみると、その演技や言動に惹きつけられるものを感じていながらも、浅田選手の人となりをニュースなどからの報道からは得ることができなかった、と気づきます。報道では、点数や順位、ライバルとの関係ばかりに焦点が当てられ、その魅力の理由として納得できるものを知ることができず、もやもやとしていたそうです。
そこで、浅田選手のドキュメントを、という運びになったようです。

浅田選手の魅力や、始まった取材からのエピソードは、省かせていただいて(それ自体も興味深かったですが)、私が興味深いと思った文章が、以下のようなものです。



「ぼくは、これまでの42年の人生をかけて、ほとんど一つのことを習得することに専念してきた。
 その一つのこととは、「ものを見る目を養う」ということだ。「何が価値あるものなのか」を見極める目を持つというのが、ぼくの人生の大きな目標の一つだった。

 そうして、そのための修練を、これまで積んできたのである。
その達成には、もちろんまだまだ遠いのだけれど、しかしそれでも、かなりのところにまで来たという自負はある。」



なぜ私がこの一節に惹かれたのか……それこそ、はっきりと意識はしていなかったかもしれません。

ところが、先日、ちょっとした出来事があって、それからこの文章を思い出したのです。


出来事というのは、大きなことではなくて、簡単にいうと、買い物に行った時の店員さんの接客態度に感心した、ということです。

それだけだとあまり感心の具合が伝わらないので、かいつまんでお話しします。


ある日、私は市内のデパートに行きました。
自分の服を買うとか、ショッピングを楽しむ、という感覚ではなく、目的を果たすため、単なる「用足しのひとつ」という感覚です。ですので、近所のスーパーに行くような、ちょっと気の抜けた格好だったんです。こういう格好だと、デパートの店員さんと接するのはこちらが気恥ずかしくなるものです。

でも、私はとにかく用足しですから、二十歳すぎの姪に贈り物にすると決めたマニキュアを求めてうろうろしていました。
そこに、可愛いボトルでイメージに近い商品を発見。色合いを確認するために試し塗りをしていると、店員さんがさりげなく話しかけてきました。
これまでも、よくあった構図です。でも、何かがほんの少し違う、と感じました。

細かい話ですが、こういう時、よく試し塗りをしたマニキュアをふき取るためにコットンを出してくれます。さっと除光液を塗ったコットンを出しながら話しかけられるというパターンがほとんどです。
でも、その店員さんは、私がコットンの入ったビンの蓋を開けようとするのを見て、「大丈夫ですか?」と声をかけました。私は「大丈夫です」と答えます。でも、手には荷物を持っているし、ちょっと不器用なので、こういう時はもうプロに任せてしまったほうが早い。それは多分見ている店員さんのほうにもわかっていることだったと思います。けれど、この方は、私の「大丈夫です」という言葉を尊重して、手を出さず、だけれど、必要ならすぐにでもお手伝いしますよ、という雰囲気で見守ってくれました。そこで「すみません、やっぱりお願いします」と私が言って初めて、手を貸して、商品の説明なども始めました。

そこで、私ははっとして、始めて顔を上げてその店員さんの顔を見ました。
とても、綺麗な方でした。

続けて何度かやりとりをしました。
商品を決める段階、ラッピングを頼む段階、私が他に用を足す時間があるならその間に、やっておく、と伝える段階。
一つひとつが押し付けがましくなく、私の言葉を確認しながら進めてくれます。

お店でも病院でもよく感じるのは、「こちらは初めてだけど、そちらは何百回も同じことをしていて当たり前になっているのですよね」と感じさせる応対です。
店員さんの話についていけなくて、あれ?と思っているうちに、物事がささっと進んでいっても、看護師さんから、注射一本打つのに意味不明の説明を受けて、聞き直すことになろうとも、こちらが相手の立場を思いやる……ということが案外普通のことになっているのだと、この店員さんの応対から逆に気づかされたように思いました。

それから、私は別の階で用を済ませ、商品を受け取りにその売り場に戻りました。
手提げ袋を進められ、一度は「すぐ車に乗るので」と辞退したのですが、結局、持っている荷物との関係から受け取ることになりました。その間のやりとりもまた絶妙。
その方は最後ににっこりと微笑んで贈り物である商品を渡してくれました。
添えてくれた言葉が「喜んでいただけるといいですね」でした。

という経緯なのですが、読んだだけでは、よく教育された接客態度ですね、という結論でもおかしくないはずなのです。デパートの店員としては普通のことをしただけとも思われます。

でも……。
私も結構、生きてきました。先ほどの岩崎氏とそう離れていないと思います。
その間、どれだけ「接客」を受けたか。
かなりの回数だと思いますが、その中でも、今回は指折り数えるような「胸のすく」ものでした。

なぜでしょう。
彼女のことを綺麗な人だと書きました。
確かに化粧品店の店員さんなわけで、顔立ちも品よくメイクも雰囲気も上品です。
でも、それだけではない、内側から滲み出るもの、それが本当に綺麗だったのです。
もしかしたら、彼女も仕事を終えて家に帰ってリラックスすれば別の顔があるかもしれません。
けれど仕事をしている時の彼女は、間違いなく心から相手に言葉をかけているのだと思いました。
それはやはり、受け取る側に通じるものです。
そして多分、この店員さんは、びしっとお洒落したお客様でも、私のように近所に買い物に来た的な格好の人にでも、わけ隔てない「対人間」としての態度を取るのだろうな、と感じさせてくれました。

そこで、思い出したのが先の岩崎氏の言葉だった、というわけです。
正確には「価値がある」という言葉で表すのはしっくりこないかもしれませんが、少なくとも、本質的な意味のある接客のできる店員さんだと私は思いました。
……結果、そのお店をすぐに立ち去ることをせず、追加で自分のものまで購入してしまいました。



個々人の感じ方は多様性に満ちている、というのが真実だと思います。
一方で、本当に大事なものは何か、ということを追究したい、とも思います。

美しい衣装を着て、美しいスタイルを持っていて、それを人が美しい、と感じたとしても、心に響かないことがあります。
それと似たようなことは、芸術でもスポーツでも仕事でも、あらゆる分野で言えそうな気がします。
つまり、努力や技術は大事なことだけれども、それだけでは、人の心を打つことができないこともある、ということです。



沢山の言葉を尽くしても、全く相手の心に響かないことがあります。
決められた文句を口にしても、逆に不快ですらあることがあります。

本当の言葉。

これをカウンセリングの最中に発することができるかどうか、がカウンセラーの資質のひとつではないか、と私は思っています。

カウンセリングを生業にしてから、その「言葉が降りてくる瞬間」があることに気づいていました。

これまでの自分の経験を昇華して、これからも沢山のことを吸収して、「その瞬間」を少しでも多く持てるように、来年もがんばりたいと思います。



今年最後の日曜日、皆様も慌しく過ごされているでしょうか。
来週もカウンセリングがありますが、少し早い「今年の振り返り」となりました。


posted by サトウマリコ at 18:29| Comment(0) | コラム