2006年08月23日

笑顔

笑顔って大事だな、と先日あらためて思うことがありました。
その方はお店の店員さんで、所謂営業用の笑顔だったのかもしれないのですが、本当に素敵な笑顔を見せてくれたのです。
それで、店に一歩足を踏み入れた途端、ほっと安心することができました。人に笑顔を向けられるのは、やはり嬉しいものです。

それとは別の種類の(?)笑顔だと思うのですが、この前、私は信号待ちの交差点で笑っている自分に気がつきました。
人と話をしていたのではなく、一人で…たらーっ(汗)

一応わけを説明しますと、その直前に偶然知り合いに会ったのです。
で、お互い別方向に分かれて、私は交差点に向かったというわけです。


もう随分前になりますが、雑誌か何かに載っていたエッセイにこんな話がありました。

「電車に乗っていると、『偶然出会った人たち』に遭遇することがある。
再会に喚起してハイテンションで会話が繰り広げられるのが常だけれど、本当に相手と会えて嬉しかったかどうか、はどちらか一方が先に電車を降りた時によくわかる気がする。
手を振ってお互いが見えなくなった瞬間に、すっと冷めた顔に戻る場合と、そのまま微笑が顔に残っている場合があるからである。一人でフフッと笑っているような顔をしている人を見ると、本当に相手に会えて嬉しかったのだろうなあ、と思う」

大体こんな内容でした。
だから、やっぱりいるんですよね、こういう方って。
つまり、私の場合もその人と会えたのが嬉しかったのです。


昔は、道を歩きながら、とか、自転車に乗りながら笑顔になっている人を見て「?」と感じていましたが、今ならなんとなくわかるかも。
本当に嬉しい時や楽しい時は人間、自然と笑顔になるんだなって。
…って、当たり前のこと??

笑っているうちに、気持ちも明るくなってくる、というような話をなるほどな、と思いながら聞いたことがあります。
でも、それとは別に、例え一人でいたとしても、ふっと心から浮かんでくるような笑顔になれる瞬間を、普段から持っている人は幸せかもなあ、と思います。もちろん、好きな人と一緒なら自然と笑顔になっているかもしれませんね。それも素敵なことだと思います。


今日、ある本を読んでいたら、「夢中になれること」を持つことで、それ以外の辛い時間を耐えることができるんだ、ということが書いてありました。
そして、その「夢中になれること」は、残念ながらそう簡単に見つかるものではないので、ダメもとで、探してみることが大事だって。

そうかもしれないなあ…目と思いました。
まだまだ自分が知らない「夢中になれるもの」が世の中にはあるかもしれない。
あきらめないで、探してみよう、と思いました。
そして、心から笑える瞬間が少しでも増えたら素敵ですよねぴかぴか(新しい)
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2006年08月17日

ファンタグレープ

以前、木村先生もブログに書いていたと思うのですが、ある体験とひとつの刺激とを結びつけることをアンカリングといいます。

刺激というのは、五感全てがなり得ます。例えば、ある音楽を聴くとその頃の経験が甦るとか、あるものの匂いで誰かを思い出す…などです。
心理療法では、これを逆に利用して、望ましい体の状態を意識的に再現するために何かの刺激と結びつけることがあります。

それはさておき。

先日、食事中に「ファンタグレープ」のことが話題になりました。
結構子供の頃に好きだった人が多いみたい。
考えてみると自分もそうでした。
コーラともまた違って…、多分、葡萄というのがワインを連想させてちょっと大人っぽいと思っていたのかなあ。

最近めっきり炭酸飲料はご無沙汰していたのですが、今日思い立って購入してみました。
糖分いっぱい、が気になったのですが、たまになら、いいかあな、とあせあせ(飛び散る汗)

先ほどのアンカリングの話からいくと、これを飲んだら、子供の頃の記憶が甦るかなあ、などと思いながら口をつけてみたのですが…むせてしまいましたもうやだ〜(悲しい顔)
炭酸の、しゅわっとした空気が器官に入ったような変な感覚。
結局、咳き込み続けただけで、特に記憶も甦りませんでした。
あ、でも、子供の頃に愛用していた、スヌーピーの柄のマグカップが、くっきりと目に浮かびました。やっぱり、そうなのかな目

ちなみに、私は不調が続いていた頃、元気だった頃の通勤経路を車で通って、気分が良くなったことがあります。

自分が元気になったり、いい気持ちになれるアイテムとして、オリジナルのアンカー刺激を覚えておくと便利ですよぴかぴか(新しい)
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2006年08月12日

サイン

昨日は、プライベートを含め、10人近くの人とお話をする機会がある日でした。一対一で向き合ったり、何人かのグループでテーブルを囲んだり、昼から夜にかけて、それが続きました。

たまたま年代が私に近い方ばかりでしたが、住んでいる場所や環境は、もちろん違います。私と会うのも十年ぶり方、半年振りの方、一週間ぶりの方、遠方から帰省された方、県内各地からいらした方…と様々でした。

もちろん、お話した内容もいろいろです。
それでも、皆、大変なことを乗り越えて、そして大変な渦中にいても前向きに、頑張っているなあ、と良い刺激を沢山受けましたぴかぴか(新しい)


いつも人と会うと、たった数時間の中でも、いくつか印象に残る言葉を聞かせていただきます。

それは、時に声を大にして大袈裟に訴えるのではなく、ほんの、ふとした呟きだったりします。

そんな時、それを呟いた人は、視線を遠くに逸らしていたり、私ではなく天井のほうを見ていたりします。
たまに、上を見上げた目に、薄っすらと涙のようなものが浮かんでいたりすることもあります。

目と目を見つめ合ってお話することも大事ですが、こういう瞬間を私はとても大切に思います。

その時、きっとその人は、真剣に何かを見つめているから。
過去の自分かもしれないし、今向き合っている問題かもしれないし、自分の感情かもしれないし。



感情というものは、恐る恐る姿を現すことがあります。自分自身でさえも、気がつかないほど、その姿を見せることに臆病だったりします。

まして、普段、他人に自分の感情を伝える時は、ほんの小さなサインだったりします。
いくら身近な人でも、気をつけていないと、気がつかないかもしれないし、わかっていてもないがしろにしてしまうと、もうサインは送られてこないかもしれません。
小さな呟きこそ、しっかり耳を傾けることって大事だと思います。

感情を抑え過ぎて爆発する前に、自分の心や体に現れたサインを見逃さず、きちんとケアしていきたいですね。
そして、大切な人のサインもしっかり受けとめたいものです。






posted by サトウマリコ at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ココロ

2006年08月10日

10年間という長さ

今日、盛岡ではお馴染みのタウン誌、「マ・シェリ」を眺めていたら、岩手でロケをした映画が紹介されていました。

その中のひとつに、森田芳光監督の「(ハル)」という映画がありました。
遠く離れた男女がインターネットを通じて出会い、一度も顔を合わせることもなく恋に落ちる、というストーリーです。

実は、当時私はそのロケ現場となった建物で働いていました。主演の深津絵里さんともしっかり一緒に記念撮影をしたのです手(チョキ)

そのことを、夫に話していると、「それは何年前?」と聞かれました。
ざっとした感覚で、「10年位前かなあ」と答えたのですが、制作年を見たら、1995年で、本当にほぼ10年前でした。

そこでつい、その頃の自分を思い出してしまいました。
何に夢中になっていたか、とかどんな生活をしていたか、とかは大体思い出せるのですが、10年後の自分に対して、どんな将来を描いていたかはよく思い出せません。
と、いうよりも、10年後のことははっきり思い描けなかったのかもしれません。

皆さんは、何年後のことまでなら、思い描くことができますか?

なんとなく、ですが、10年というと途方もない感じがしますが、5年後といわれると手が届きそうな感じがしないでしょうか。
そう考えると、5カ年計画で、今年はどんな年にして来年はこうなっていて…と小刻みにイメージがわいてきます。
そして更に、今年は何月までにこんなことをして、と逆算していくと、結構、時間って貴重だなあと実感できます。

あまり、きりきり追い詰めるのも良し悪しですけどねドコモ提供
ノルマにするのではなくて、楽しい計画と受けとめられるといいな、と思います。

先日、知り合いの女性が、「やりたいことがいっぱいあるの」と語ってくれました。
きっと、彼女は実行するんだろうな、と思います。なにせ、そう話してくれた彼女の目がキラキラと輝いていたので。

この現状から抜け出したい、でもOK。
もっとこうなりたい、でもOK。
今のままの自分が好き、でももちろんOKだと思います。


でも、もし誰かが自分の道を見失いそうになった時、行くべき方向がわからなくて迷っている時は、新しい道を見つけるまで、カウンセラーとして微かな道しるべとなれるように私は日々研鑽を積んでいきたいと思っています。

これが、10年前の私が想像していなかった、未来の姿なのでした。

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2006年08月09日

フォーカシング

個人的に好きな心理療法として、「フォーカシング」というものがあります。
心理療法というと、今や数え切れないほどあるのですが、私自身が自分のために使うものとしては、フォーカシングはかなり上位にランキングされています。

とても穏やかなセッションで、しかも短時間で、深く的確に自分の内側と対話できる、と感じられるからです。

カウンセラーであっても、もちろん日々いろいろな出来事に直面しますし、調子が良い日も悪い日もあります。
そんな時、カウンセラーになる前と違うなあ、と思うことは、わりと早くに問題が解決されてしまうことかな、と思います。
以前と比べると、悩んでいる時間が格段に違います。
(もともとは、悩み症だったので、ある意味手持ち無沙汰とも言えるのですが……。)

フォーカシングというのは、自分の身体の感覚に注意を向けて、自己洞察を深めていくというものなのですが、セラピストに立ち会ってもらうやり方と、自分一人でやるやり方があります。

私は専ら一人でやるのですが、今日久し振りにやってみました。
なんとなく、身体に違和感を感じて、何かの感情がひっかかっているんだということがわかったからです。

結果は…、楽になれました。
何度やっても不思議です。
ほんの微かともいえる身体の感覚から、自分が何を気にしていたのか、そしてそれは、客観的に見てどうなのか、ということがわかったからです。
そうしたら、自然に力が抜けて気持ちが軽くなりました。

身体と心は繋がっている、とよく聞きますが、本当にそうだと思います。
そしてその繋がりは、最初はよくわからなくても、慣れるとよくわかってくるようになります。

心理学は、目に見えないことを追究していくわけですが、学べば学ぶほど奥が深いなあと思います。
しばらくは探究し続けることになりそうです犬
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2006年08月06日

ホントの気持ち。

夏を楽しもう!と昨日書いたばかりですが、やはり暑いですねえ。。
夏バテとはいいませんが、言いたくなくてもついつい「暑いよ〜」と口走ってしまいます。
積極的に夏を楽しむことはできても、さすがに暑くないフリはできません…ふらふら

と、書いて、ふと思ったのですが、カウンセリングの仕事をしていると、自分の気持ちに気がつくことは、すごく大事なポイントだなあ、と思います。

「自分の気持ちに気がつく」というと、不思議に思われる方もいるかもしれませんが、自分の気持ちをないがしろにしていることって、結構あったりするものです。

すごくつらい出来事や、悲しい出来事に遭った時、不思議と何も感じない、という経験をされたことはありませんか?
「思ったより自分って強いじゃない」なんて呟いてみたりして。
若しくは、「たいしたことないさ」なんて心の中で自分に言い聞かせたり。

それは、自分を守るために必要なことなのですね、きっと。
そうすることで、なんとかその場を乗り切ることができるのかもしれません。

でも、その時抑えた感情はいつか外に出してあげないと、何かが見えないところで溜まっていたりするんです。
それを思い出してもいいくらい状況が落ち着いたら、きちんと自分の心に向き合うことも大事なお仕事です。
「哀しかったんだね」「つらかったんだね」と、その時の自分の気持ちを認めてあげましょう。どれくらいかかるかわかりませんが、そうやって初めて、次のステップに進んでいけることもあるのだと思います。

いつか、こういうお話はコラムに書こうと思っているのですが、今日は少しだけお話してみました。

…話を戻すと、つまり、暑いですたらーっ(汗)

でも、そのおかげで、カキ氷もおいしいんですよね、この頃ぴかぴか(新しい)

posted by サトウマリコ at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ココロ

2006年07月24日

今だから

今日は、高校野球野球の県予選の決勝で、ついに出場校が決まりました。
午後1時過ぎからの試合開始だったのに、夕刊を見るとしっかり記事になっていて、一体この速さはどうなっているのだろう…とびっくり。

ともあれ、高校球児の夏に一区切りついたわけです。
すごく高校野球ファンというわけではないのですが、たまにテレビで見ると、なんだか切なくなります。

どちらのチームも同じくらい必死で、真摯にプレーする姿がなんともいえず、いじらしいというか。試合が終わった瞬間、勝って大喜びする姿も、負けてがっくりとうなだれる姿も、そしてそれぞれの応援席の様子も、私は涙なしでは見られません。周りの人が歓声をあげていても、私は涙をこらえるのが大変。
一人でテレビを見ていると、こらえる必要もないので、だーっともうやだ〜(悲しい顔)

子供の頃からそうなので、あまりテレビで高校野球は見ないようにしています…。

なので、とりあえず新聞だけでもチェックしようと眺めていたら、勝利投手のインタビューにこんな言葉がありました。
「一球に集中したから勝てた」と。

ああ、本当にこれって大事なことだなあ、と思います。
さっき投げた球のことでも、次に投げる球のことでもなく、今投げるこの一球にひたすら集中するということ。

よくスポーツのメンタルトレーニングの記事を読んでいると、生活にもそのまま通じることが多いなと思うのですが、この場合も、過去や未来ではなく、今を生きるという点では、生き方そのものに通じるものがあります。

心理学ではよく「今ここ」に生きることの大切さが説かれます。
このことを知るまでは、私は遠い未来のことを心配したり、過去のことを引きずったりする時間がよくありました。

もちろん、未来について「計画」することや過去を「反省」することは大事だと思います。
だけど、そのことで「今」をないがしろにしてしまうのは勿体ないこと。
今、一生懸命がんばったり、一生懸命楽しんだり、そして、一生懸命休んだりしよう、と思うのです。

ちなみに、私は今一生懸命ブログを書いていますが、終わったら多分一生懸命眠ります眠い(睡眠)
posted by サトウマリコ at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | ココロ

2006年07月21日

プチ冒険

自分で書いた「心のストレッチ」のうちのひとつ、「プチ冒険」を実行してみました。
旅から帰ってくると日常生活が新鮮に感じることに注目して、普段できることの中で小さな冒険をしてみよう、というものです。

今朝のウォーキングの時に、いつもと逆方向に行ってみました。
長く住んでいる土地ではないということもありますが、初めて見る風景にびっくり。
こんな建物があったんだあ、こんな雰囲気の路地なんだ…。自分がいつも通らないだけで、こんなに近くに別世界が広がっていたんだなあって。
多分それも見慣れてくると、「いつもの風景」になるのでしょうが、たまには近くて知らない場所に行ってみるのも面白いものです。

それとは逆に、仕事場の窓から見える風景はほとんど変わりありません。
でも、その変わりない風景の中に、ちょっとした変化があると面白いんですね。
今日は、少し外の空気を吸おうと窓を開けたら…小さな黒猫ちゃんが隣の建物の駐車場を横切っていくのが見えました。
雨に濡れないように、すばやく車の下にもぐりこみ、そして一呼吸おいてまた駆け出していくのです。
視界の端の小さな出来事目でしたが、なんかちょっぴり得した気分。

大冒険はどきどきすることもあるけれど、プチ冒険はほのぼのしていていいかもかわいい

posted by サトウマリコ at 12:13| Comment(0) | TrackBack(0) | ココロ

2006年07月13日

虹の橋

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昨日の朝、盛岡に大きな虹がかかりました。
ラジオでも話題になっていたし、夕刊にも写真が載っていて、ローカルだけどたらーっ(汗)ほっとするニュースでした。

そういえば、小学生の頃、図工の時間に「想像画」という課題があって、テーマは「夢」というものがありました(確か…)。
それで、私は「虹の橋を渡ってみたい」というタイトルの絵を描いたことを突如思い出したのです。画用紙いっぱいの大きな虹とその袂に自分…みたいな。

それは確か3、4年生の頃で、一応「らしい」絵だったと思うのですが、正直本気で虹を渡れるなんて思っていなくて、とりあえず課題に合わせて苦しまぎれに描いたような気がします。
皆がそうだったかはわかりませんが、私にとっては「夢を想像して絵に描く」といわれても、結構難しかったのです。

子供って、大人が思うより、ずっと大人なのかもしれません。
無邪気な子供でいてほしい、と思っているのは大人だけで、結構現実というものがわかっているし、深刻にいろいろなことで悩んだりしているかも、と思います。

ただ、それを表現して誰かに伝えたり、調整したりという能力とのバランスができていなから、一人で悩んで、そしてうまくSOSを出せなくて、つまづく子もいるのかな、と思います。

そして大人も、子供のサインを受けとめる心のドアを持っていないと、子供はノックするドアを見つけることができないでしょう。

ただ、ノックされたわけでもないのに、どんどん大人が手を差し伸べすぎるのも考えもの。
子供の能力を勝手に差し引いてしまっているということになってしまうので、たとえ時間がかかっても、子供を信じて、子供自身に歩かせてみるのも大事だと思います。

ここまで書いて、ふとある小説の一節が浮かびました。
読んだのは高校生の頃でしたが、妙に心に残っていた部分です。
「ライ麦畑でつかまえて」の中で主人公が語る言葉です。

妹に「何になりたいか」と問われて、大人が誰もいないライ麦畑で走り回る子供を、崖のふちで見守っている役になりたい、と主人公は話し始めます。

「―僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ―つまり、子供たちは走っているときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっからか、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅうそれだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ」(「ライ麦畑でつかまえて(株式会社白水社発行)」より)

高校生の頃はよくわからなかったけれど、今は、そういう意味だったのかなあ、と感じます。
また何年かすれば、感じ方も違ってくるのかもしれませんねアート

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2006年07月10日

光と影

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平日の朝は、特別な予定がない限り、ウォーキングをしています。
大抵は会社へ行く夫と並んで家を出発し、その日の調子をみながら、遠くの公園で引き返したり、もっと手前の銀行のあたりで引き返したり、という感じで約30分くらい歩きます。

そんな習慣ができて、約3カ月が経ちました。
この時間って、たわいもないことを話しているようで、いいコミュニケーションの時間だな、と思います。
晩のおかずのことや、最近オープンした近所のお店のことや本当にたわいのないことを話しているのですが…。

ここ最近、非日常的な出来事が続いたので、こういう「普通の時間」が持てなくなる日が続いていました。

そうなってみて、わかるんですね。「普通の時間」の有難みが。
たまたま影ができたから、光を感じられることができた、そんな心境です。

そういう感覚で辺りを見回してみると、当たり前に感じていることでも、案外自分の生活は光がいっぱい当たっているのかもしれないな、と気がつきました。

こんなふうに書くと、じゃあ「影」の中に入ったら救われないのかな?なんて考えてしまいました。
影になるのは、自分自身かもしれないし、他の誰かかもしれないけれど。。

でも、思ったんです。
光とか影とかを決めるのは誰だろう?って。
誰も他人の人生を、光か影かなんて決めることはできないと思うのです。

どんな環境だとしても、それを決めたり感じたりするのは、自分しかいないのではないかな。
光の当て方によって、同じ部分が光になったり影になったりするということを忘れないでいたいものです。

今日は少し抽象的なお話でした半月



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2006年06月27日

慣れ

今日は朝から雨でした。
関西出身の夫に聞くと、東北の梅雨は大分しのぎやすいみたいです。
それでも最近蒸し暑く、なんとなく気分もいらいらしたりすることがあります。

そういえば、真夏よりも初夏、真冬よりも初冬に暑さや寒さを強く感じるような気がします。体が慣れていないのでしょうね。

きっと心も、急激な変化にはストレスを感じるのだろうな、と思います。
たとえ、それがよい変化だったとしても、環境や生活のパターンが変わるということは、適応するために意識しないところで力が必要なのでしょうね。
だから少したってホッとした頃、がくっと力が抜けちゃったり…。

慣れるということは、楽になっていくということなのでしょうか。
新入生は学校に慣れるとだらしくなくなったり、結婚生活も慣れると緊張感がなくなったり、暑さ寒さも慣れると感覚がだんだん鈍くなってくるということは…。

環境が変わった時は、多少うまくいかないことがあっても、「しかたないや」と自分に優しくあきらめて、環境に慣れ始めてきたら適度な緊張感を忘れない努力をすればいいのかなあ、と思います。

言うは易し、かもしれませんが、ちょっと頭の隅にでもペン



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