2006年11月19日

たった一言

「心の病」という言葉は、よく聞かれるようになりました。
病でなかったとしても、「うつっぽい」「プチうつ」などという言葉は日常的に使われます。

それでも、まだまだ自分には縁遠いことだと思っている方も大勢います。
そういう方は精神的なストレスを感じた時に、気持ちを切り替える自分なりの方法を身につけているという自負があるのかもしれません。何かに夢中になっていて、関心を持ったことすらないという方もいらっしゃるかもしれません。

でも、もし身近な人が「通常の落ち込み」以上に落ち込みが続いているとしたら、どうするでしょう。
心配したり、もどかしく感じたり、いずれにしても周りの方もなんとなく落ち着かない気持ちになるのではないかと思います。

そんな時、「私だって大変なんだけどなんとか頑張っているのよ」という言い回しをする方の話を、幾度となく聞きました。
多くは家族や上司、あるいは相談相手に「こんなふうに言われた」という話ですが、知り合いの医師ですらそんな言い方をしたことがありました。

確かに、私も自分が経験したことのない痛みはどんなものかわかりません。どんなに想像してみても、多分、実際の経験には遠く及ばないと思います。
でも、もしも自分が実際に言葉を交わす相手が病気になったとしたら、なんとかして、その病気のことを調べると思います。

自分の大切な人―家族や友人や部下が心の病にかかったら、せめてその病気のことをよく調べてください。
心の傷は目に見えません。痛くても本人は痛いということができません。
だから辛いのです。
見た目は健康そうに見えても、動くことができない場合があるのです。
それは、体の病気と比べようのない辛さです。

「怠けている」「元気だして」「気の持ちよう」「あなただけが大変じゃない」
不用意に発したこの一言が、相手に何日も寝込むほどのダメージを与える可能性があるということ、一人でも多くの人に知ってもらえればと思います。

もし、身近に思い当たる方がいたら…。
特別な構え方をせず、普通に接してあげてください。
そして、ゆっくりと話を聞いてください。
つかず離れず見守ってあげてください。
それだけで、楽になれる人がいます。
精神論で無理に治そうとせず、必要があれば受診を進めてください。
心の病気は、「気の持ちよう」ではないからです


急性期を過ぎた場合は、徐々にカウンセリングが有効になってきます。病気自体は「気の持ちよう」ではありませんが、ストレスをためないように考え方の癖を変えることも必要な場合があるからです。
ただカウンセリングは、自分自身をしっかりと見つめ直す必要があります。かなりエネルギーがいる場合が多いので、ある程度症状が落ち着いてからが良いようです。

いずれにしてもガマンせず、必要なケアを受けられるよう、ご本人も周りの方もほんのちょっと勇気を出して一歩踏み出していただけたらと思います。
posted by サトウマリコ at 22:27| Comment(0) | ココロ

2006年11月16日

交流のしかたと自己開示

個人的に思うことですが、心理学や心理療法をカウンセリングに取り入れようと考える時、欧米との文化の違いを感じることがあります。つまり、欧米から入ってきた理論をそのまま取り入れようとしても、どこかに違和感があること。それは、日本人特有の交流様式との融合が難しいからではないかと思うのです。

例えば誰かに何かを伝える時、日本人は、ストレートに言うのではなく遠まわしな表現を使ったり、本人には直接伝えず後で別の人に愚痴を言ったりすることが多くあります。
また、自分のことや身内のことを直接的な表現で自慢することはあまりないのではないでしょうか。「愚妻」などという言葉もありますね。
日本ではへりくだることや、察することが美徳という観念があるため、人とのコミュニケーションが複雑になっている部分が多いのではないかと思うのです。

よく「空気を読めない」などという言葉を聞きますが、その空気とは一部の人たちの感覚かもしれないし、同じ感じ方をできない人にとっては、非常に困ることではないかと思うのです。
目に見えない「空気」などではなく、誰にでもわかる言葉で時間を共有できたら、楽になる場面が結構あるのではないでしょうか。

他にも、自分の欲求をストレートに伝えるのではなく、拗ねたり、ひねくれたり、食ってかかったり(逆ギレというものでしょうか)、という態度でしか示せない人もいます。

最近では、日本でもアサーショントレーニングと言って、上手に自分の気持ちを表現する訓練法が推奨されています。
私もセミナーに参加したことがあるのですが、確かに上記のようなコミュニケーションの問題を避ける方法として、かなり有効だな、と感じました。
自分の感情を、自分自身がきちんと捉え、感情的にならずに相手に理解してもらえるよう伝えるのです。そうすると、陰口を言って友人関係がややこしくなったり、自分を抑えたりしてストレスをためることなく、相手と問題を共有できるのです。

そしてもうひとつ、大事だと思うのが、自己開示です。
「私はこんな人間です」ということを、オープンにしたくない人が結構います。それは、その人なりの他人との距離の取り方だと思いますが、あまりに警戒心が強すぎると、疑心暗鬼になって自分が苦しくなってしまいます。もちろん、常識的な範囲で個人情報を漏らさないよう自分で判断する必要はありますが。差し支えないと思ったら、最初から自分をオープンにして、人と付き合うと随分楽な気持ちになれます。他の人にどう思われるか?といちいち気にする必要がなくなるからです。


さて、、長くなりましたが、私は決して日本人特有の考え方を否定するわけではありません。
むしろ、もともと「察する」ことが好きでしたし、相手に訊かれない限り自分の話をしないことを美徳と考えていました。
ですが、その代わり、相手にも自分のことを「察してもらう」のが当たり前だと思っていましたし、気楽に自分のことを話せるのは、かなり親しくなってから、という感じでした。
今でも日本的な「奥ゆかしさ」は嫌いではありません。

でも、以前と違うのは、「そのほうがいい」と思う時は、なるべく態度ではなく言葉で相手に伝えたり、自己開示をすることを意識できるようになったことです。

日本人的交流が、「美徳」と言える場面ならそれはとても素敵なことだと思います。
でも、一旦それが陰湿な交流となって傷つけ合うことになるなら、どうか皆さん心を開いて、裏表のない交流へと変えていってほしいと思います。
これは、友達でも、親子でも、カップルでも、上司と部下、教師と教え子…いろんな人間関係に言えることなのです。
最近のニュースを見ながら、特に感じたことでした。
posted by サトウマリコ at 00:10| Comment(0) | ココロ

2006年10月23日

思い込み

今日は、大通りのおへれんせ近くの温度計によると、お昼すぎでも13度くらいでした。いろんなお店に入っても暖房をつけていましたし……めっきり寒くなりましたふらふら

夕方、延ばし延ばしにしていた健康診断を受けに行ってきました。
近所の個人病院ですが、とても丁寧に説明してくださる先生ばかりなので(先生は3人います)いつも助かっています。
順調に採血や測定が進み、いよいよ問診です。

何かをチェックする度に、「○○は○○ですから大丈夫ですよ(例えば、心音も呼吸音も正常です、というように)」と細かく説明してくれます。そういう言葉を添えていただくだけでもかなり安心するものです。
「それでは後日血液検査の結果を聞きにいらしてください」というところで終わりそうになりましたが、、私にはまだ大事な目的が残っていました。

問診表の自覚症状の欄に、気になっている症状を書き込んでおいたのですが、そこは見逃していたみたいです。
病気じゃないから病院に行くほどでもないだろうなあ、と思いつつ、結構気になる症状があったので、この機会に訊いてみようと思っていたのです。実は、もしかして何かの病気かも??とまで考えながら行ったのですが……。

結果は、先生は私の心配など意に介さず、親切に症状の予防法を教えてくれました。
よくお聞きすると、同じような症状の方は沢山いらっしゃるようです。

さて、今日、病院に行く前と行った後では、症状に対する私の受けとめ方は随分違ったものとなりました。
行く前は、もし病院でわからなかったらどうしよう、どうしたら治るだろう、とそればかりが胸に大きく広がっていたような感じでしたが、先生の説明を受けてからは、それがしゅるしゅるとしぼんだような感じになりました。
「訊いてみるものだなあ。訊いてみてよかったなあ」と思いました。


日々の出来事でも、自分が「大変だ」と思っていると、とても重大なことに感じてしまうけれど、何かのきっかけで見方が変わるとかなり気持ちが楽になることがあります。

そのきっかけは、いろいろですけれど、それだけ日常生活には「自分の思い込み」が沢山あるような気がします。
自分の感覚は絶対のように感じてしまうのが常ですが、時には疑ってかかる必要があるのかもしれません。

特に否定的な感情は、悪循環にはまってしまいがちです。
例えば、「誰も私の話を聞いてくれない」と信じていたりすると、他の人と接する時につい身構えてしまい、消極的になったり、逆に攻撃的になったりしてしまいます。すると、自然に相手もその人の話を聞かなくなっていきます。そして最後に「やっぱり誰も聞いてくれないんだ」という結論に至り、ますます確信が深まっていく、ということになったりします。

しかし、思い込みというだけあって、なかなか自分でそれに気がつくのは難しい場合があります。
そんな時、常に「別の可能性がある」「いろんな見方ができる」ということを頭に置いて、自分の思考や感情を追う癖をつけていると、楽になってくるかもしれません。

カウンセリングでは、お話していくうちにそんな発見が沢山あります。
「気がつく」って、楽しいですよドコモポイント
なんでいつもこうなってしまうのかな?ということが引っかかっていて、友達や家族には話しづらいことなら、カウンセリングを試してみるのもいい方法だと思います。
posted by サトウマリコ at 23:34| Comment(0) | ココロ

2006年10月21日

三つの癒し習慣

今日は、自分でできるプチセラピーの話です。

新しい習慣として、こんなものはいかがでしょうか。

夜寝る前、お風呂の中で、その日あった出来事から三つ、あるものを探し出してみるのです。

例えば、

1 その日の自分を振り返って、褒められることを三つ考える。
(自分で自分を褒めるのです、心の中で。。)
2 その日あった出来事で、感謝することを三つ考える。
3 その日あった出来事で「よかったこと」を三つ考える。

テーマは自分で決めてもオッケーです。「面白かったこと」「きれいだったもの」「心に残った誰かの言葉」……自分が幸せな気分になれるものがいいですねぴかぴか(新しい)

ポイントは、毎日続けることと、「三つ」という数です。
昨日と同じものでも構いません。とにかく三つみつけましょう。
そうして、気持ちよくお布団に入ってくださいね。
朝の目覚めがよくなるかもしれません晴れ
posted by サトウマリコ at 21:56| Comment(0) | ココロ

2006年10月16日

変化

山のほうでは紅葉が真っ盛りのようですねドコモ提供
うちの近所では、一本の木に、色づき始めた葉とまだ緑のままの葉が同居している段階です。「初紅葉」という季語がありますが、ちょうど昨日そんな木に出会いました。これからどんどん変化していくのをしっかり観察していこうと思います。

植物が一年を通して変化し、そして年々成長していくように、人も日々変わっていきますね。

カウンセリングに来られる方は、とてもよく自分自身のことを分析されているな、と感じることがあります。そして、そんな自分をどう思う?と訊ねると「嫌い」と答える方が多くいらっしゃいます。

まるで袋小路にはまったように俯かれるのですが、私はカウンセリングルームに一歩足を踏み入れた時から、いえ、行こうと決心した時から、その方の変化は始まっているのではないかと思います。

鳥は、飛ぶ前に目標物に顔を向けます。今より高い場所に止まりたい時は、直前にくっと顔を上げて、次の瞬間そこを見つめたまま飛び立つのです。
カウンセリングでは、その目標物を具体的に決めるところからカウンセラーのお手伝いが始まっていきます。もし、すぐに決められない時は、気持ちの整理をして、そのための準備から入ります。

あとは、飛び方を考えるだけ。どんな風に飛ぶか、もし飛べなかったらどうやったら飛べるようになるか、それを一緒に考えていきます。

人は変わりたくなくても変わっていきます。
それは自然な変化かもしれません。
けれど、しっかりと変わろうとするイメージを持てば、絶対その方向に近づいていくのだと思います。

紅葉が一枚ずつ色づくようにちょっとずつ、けれど、気がついたら、眩しいくらいになりたい色に染まる日が来るものなのだと実感しているこの頃です。
posted by サトウマリコ at 23:12| Comment(0) | ココロ

2006年10月13日

エネルギーのもと。

皆さんのエネルギーのもとは何でしょう。

私は日々、どうしたら人はより活力を保てるのだろう、、ということを考えています。
それは、自分のためでもあり、仕事で接する皆さんや、直接はお会いすることがなくても、今いろんなことに向かって頑張っている皆さんのためでもあります。

そんなことを今日も考えていたのですが、エネルギーのもとは、いくつあってもいいんだよなあ。。と今更ながら思いました。というか、わかってはいたのですが、改めてそれを思い出した、というほうが近いです。

それで、今日を振り返ってみて、自分のエネルギーのもとになったものを並べてみました。

ふいにできた待ち時間に読んだ本の数ページ。
日向ぼっこして暖かくなった体を摺り寄せてきた猫。
とても久し振りに会った友達の笑顔。
話しかけてくれた人たち。
チョコラBB。
キャンディ一粒。
メール3通。
変わった出来事。
私の話を聞いてくれた人。
コールバックしてくれた友達。
夜ご飯。
音楽。

……有機物から無機物まで、、沢山ありましたわーい(嬉しい顔)
今日もよい一日でした。
エネルギーのもとは、きっとそれぞれ違うのでしょうね。
皆さんはいかがでしたでしょうかドコモ提供
posted by サトウマリコ at 23:34| Comment(0) | ココロ

2006年10月12日

癒しの連鎖

1012yuuhi.jpg
誰かのたった一言が、何年も何年も心に傷となって残ることがあります。
許せたらいいのに、頭でそう考えたとしても、感情がついていかない。
多くの方がそんな経験をお持ちではないでしょうか。私は、かつてはいくつかありました。今は、かさぶたになって、そのかさぶたさえ剥がれてしまったように思いますが。。

人は人を傷つけるけれど、人を癒すのも人なんだな……。
最近あらためてそんなふうに感じることがありました。

ある人に言葉をかけていただいたのですが、あとからじわじわっと効果がわかるように、少し時間が経ってから嬉しい気持ちが自分の中に広がっていったのです。

それは、直接的な慰めや癒しの言葉ではありませんでした。
そして同じ言葉を別の人からもらったとしても感じ方は違ったと思うし、同じ人から違う状況で言われたとしてもやはり癒されなかったと思います。

絶妙なタイミングで絶妙な言葉を、もっと言えば、声のトーンもしぐさも全部含めてこれしかない、という形でもらえた時、人は癒されるような気がします。

それは、日々自分が仕事として最大限心を配っていることでもあるのですが、今回あらためて、人が人を癒す力の大きさを感じることができたような気がしました。


そして傷つくにしても癒されるにしても、声をかける側だけでなく、受けとめる側の状態も大切なのではないかと思います。
もし、自分の状態が違っていたら、あの言葉に傷つかなかったし、また別の言葉に癒されることもなかったと思うからです。


人が人と触れ合うのは、直に接するだけとは限らないですね。
ある人のメッセージは、活字となって本やパソコンを通して届くかもしれないし、何かの映像として誰かの目に触れるかもしれません。
どんな形であれ、受け手と送り手のよい波長が不思議とマッチした時、それは素敵な出会いになるのだと思います。


癒されることが上手くなればなるほど、知らず知らずのうちに人を癒すことができるのかもしれない。
人を癒していくうちに、誰かに癒される自分になれるのかもしれない。
それはきっと理屈ではないもののような気がします。

「癒し」という言葉は、最近ブームのようになっていて、逆に私はその言葉を使うのにためらいがあったのですが、今日はふとそんなことを思いました。
posted by サトウマリコ at 21:35| Comment(0) | ココロ

2006年10月06日

願っていれば

「願っていれば、想いは叶うものなのね」

これは十年ほど前に聞いたある人の言葉です。
折に触れて思い出すのですが、今朝もふとこの言葉を思い出しました。

言葉だけを追うと、叶わない願いだってあるかもしれない、と思ってしまうのですが、時に「その通りだなあ」、と実感することがあるのです。

このセリフは、私の知り合いの男性が、とても競争率の高い職業に就いた時、先にその職業に就いていた女性がお祝いの意味をこめて伝えた言葉だそうです。

正確にいうと、その職種は資格は持っていてもそもそも就職口があまりなく、男性はしばらくの間、別の仕事を続けていて、やっと念願叶って希望の仕事に就けたのです。

私は、仕事を通じてその方と知り合ったのですが、ちょうど彼の仕事が軌道に乗り始めた頃で、その熱意に圧倒されつつ私も仕事に惹き込まれていったものです。

そして、成果を挙げた彼が所謂「引抜き」で他県に異動することになり、私も送別会に出席させてもらいました。多くの方から励ましを受けながら、以前と変わらず仕事について熱く語る彼は、まさに脂が乗っているなあ、という感じがしたものです。

その男性は、好きな仕事に就けるまで、単に「心の中で願っていた」だけではないと思います。

この場合の「願う」には、「いつもそのことについてのアンテナを張り巡らせていること」、「いつでもその仕事の現場に出られるように最新の情報を収集し続けていること」、「あきらめないでいること」、「努力し続けていること」、などが含まれていたのではないかと思います。
そして、その先には生き生きと好きな仕事をする自分を思い描いていたのではないかと思うのです。

そんな彼の生き方を目の当たりにした私は「願っていれば叶う」という言葉がストンと心に落ちるのです。

自分のことを振り返ってみても、何かになりたい、とイメージを膨らませたことが、不思議と実現しているように思います。

だから今でも、迷ったり悩んだりした時は、自分の「なりたい姿」を落ち着いて想像してみるようにしています。

皆さんも、目を閉じてイメージしてみてください。
そして、強く「願う」のです。

……どんな姿を想像できたでしょうか目
posted by サトウマリコ at 00:35| Comment(3) | TrackBack(0) | ココロ

2006年10月02日

休み上手

仕事の資料として、ある本を読んでいたら、スポーツ選手のメンタルトレーニングの話が載っていました。

練習だけでなく、消耗した体を「回復させるための時間」が大事だということ、そのための生活習慣をつけていくことが強さの条件らしいです。

言われてみると当たり前のようにも聞こえますが、スポーツの世界に限らず、その当たり前のことができていない人も結構いるのではないでしょうか。

頑張って頑張って、それなのにどうして上手くいかないの?と泣きたくなっちゃうことってないですか?

頑張ったら、休まなくちゃね。
そしたらまた頑張れる。
これも大事な作戦なんですね。

休み下手な人、休むことに罪悪感を感じる人って、いませんか?
私はその一人です。休んでるとサボってるって気がして、ごろごろした日はなんとなく勝手に罪悪感を覚えることが多かったです。

あと、体が「休みたいです」って言っている声が聞こえなかったり。
どうして調子悪いの私の体…なんて思ってたけど、単に休みたかっただけだったりすることもあるんですね。

「頑張り上手は休み上手」。
一日に10分でもいいから、自分なりの休み時間を確保できるといいですね。

私は最近、寝る前に「なんちゃって瞑想」をしています。
本格的なやり方はわからないので…とにかく心の力を抜いてぼーっとしています。雑念が浮かんだら、浮かばせたままで。
それがまた心地よいのです猫
posted by サトウマリコ at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ココロ

2006年09月30日

輝き

0930hanabi.jpg

私は普段、あまりテレビを見ないほうです。
たまには見るのですが、どちらかというと知識にしても娯楽にしても活字媒体のほうが好きなのです。

そんな私が最近ハマっていたNHKの連続ドラマ「純情きらり」が、今日最終回でした。

簡単にストーリーを説明しますと、岡崎市に生まれた女性が、戦争を挟んで家族と共に成長していく姿を描いたもので、音楽という「夢」を追いかけたり、出征した婚約者を待ちながら婚約者の家族とともに壮絶な体験をしたり、家族を支えたり、その時その時を必死で生き、周りの人と強い絆で結ばれていく、というものです。

ここ数年、仕事の合間に時々見ていた連ドラと比べて、人気が高かったのも頷けるような気がします。
演劇に素人の私が言うのも何ですが、役者さんも素晴らしいし、やはり脚本の力は大きいと思いました。

今日、たまたまネットで、脚本家の浅野妙子先生の言葉を目にしました。
「その都度、やりたいことがぶれて、特に何かをなしえたということもない、普通の女の人生に、朝ドラで光を当てたかった」

誰もが多かれ少なかれ「自分の人生」について考える時があるのではないかと思います。
そんな時、マスメディアからの情報に慣れていると、「何かをなしえた人」こそが輝いていると思えてくることがないでしょうか。

目標を持ち、さまざまな障害を乗り越えて、何かを全うする。
それは素晴らしいことのように思います。

でも例えば、このドラマの主人公がひたすら子供の頃からの夢である「音楽」の道を極めようとし続けたならば、この主人公が感じたような幸せはなかったのではないかと思います。

どちらが正しいというわけではありません。
ですが、敢えて「その都度、やりたいことがぶれて」、目の前にいる人を大切にし、「今」できることを見つめ続けた人生にスポットを当てたことが、この脚本家の素晴らしいところだと、改めて感じました。

メディアを通して「遠くの誰か」に賞賛されることがなくても、そばにいる誰かを大事にできること、それに幸せを感じられる自分であること、そんな輝きがあることを忘れないでいたい、と思いました。
posted by サトウマリコ at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ココロ

2006年09月29日

記憶

0928syuumeigiku.jpg

先日、車でスーパーマーケットに寄ったのに、そのまま歩いて家に帰ったという失態をした私ですが、似たようなことが他にもありましたバッド(下向き矢印)

先々週、県内で「NHKのど自慢」の生放送があったのですが、もの好きな私は予選会場に行ったのです。約250組の人が次々にいろんな歌を歌いました。全部1分以下でしたが、それでも生のバンド演奏。すごいです。

そして、同じ歌を選んだ人は順番的にまとまっているので、人気のある歌は、10人以上の人が連続して歌ったりするのです。しかも皆上手い。
そんなこんなで、予選を「エンジョイ」しましたもうやだ〜(悲しい顔)

ところで、その時に聴いた歌で、2・3日経っても耳にメロディーが残っているものがありました。若い女性が、立て続けに3人歌ったのですが、結構雰囲気のある曲でしたし、こんなふうに自然に耳に残るということは、自分も好きなのかも。。

CDを探してみようかな、と思いながら、夫の前で鼻歌るんるんを歌ってみせました。
すると…「そのCD家にあるじゃん」
「?」と思いながら探してみると、ありましたがく〜(落胆した顔)

買ったのは、1年くらい前だったかなあ。。
やはりどこかで聴いた時に、メロディーに惹かれてCDを買ったのでした。
でも、その後、あまり聴かなかったのですっかり忘れていたのです。


今回のことで、私が思ったことは。。
記憶がなくても、いいと思うものは、何度見ても(聴いても)いいと感じるんだなあ、ということ。自分の抜けてるところを棚上げして、妙に感心してしまいました。

もうひとつは、記憶の不思議について。

人の記憶って、いろいろありますよね。長期、中期、短期、超短期、という感じで。
経験した全てのことを覚えていられるわけではありません。
例えば、電話の応対をしていて、ほんの少しの間だけ覚えている相手の名前もあれば、本を読んでいて、前のページの内容を覚えている、とか、それくらいの短い間の記憶。こういうものは、どんどん忘れます。

そして、今回の私のように比較的長いもの。これも、物によっては平気で忘れてしまいます。

さらに、何年も前の…子供の頃の記憶。
これは、どうなのでしょう。
最近の記憶より、ふとした瞬間にはっきりと甦ることがありませんか?

もちろん全てを覚えているわけではありませんが。
心と体にくっきりと刻み込まれているものがあると思います。
時には、その記憶が今の自分を悩ませたりします。
しかも、それは自分が意識できない領域でのことだったりします。

多かれ少なかれ、子供にとっては「嫌な経験」はしなければならないと思います。それは、親が意図することと違う形で子供が捉えてしまうせいもあるかもしれません。

でも、未来のその子を悩ませる記憶だけではなく、しっかりと安心感を持てるような、この世界や人間というものを信頼できるような記憶を、ひとつでも多く刻みつけてあげられたら、と思います。

それは大きくなってからその子が使う、大切なエネルギーになると思うのです。
posted by サトウマリコ at 00:10| Comment(4) | TrackBack(0) | ココロ

2006年09月26日

おまじない

0926tree.jpg

自分の感情に気がつく、ということが大事だということを、以前に書きました(「ホントの気持ち」)。

今日は、逆のお話です。

私はよく子供の頃に、救急車のサイレンを聞くと、自分の知っている人が(怪我をして)乗っているんじゃないか、と想像してしまう癖がありました。そう思うと、かなり遠くで鳴っている音でもとても怖いものに感じたものです。

大人になっても、ふと、○○になったらどうしよう、○○が起こったら困るなあ…などという嫌な考えが突然思い浮かんだりします。
で、その考えをじーっと見つめているとどうなるかというと…ますます不安になるんですね。

不安にならないようにしよう、ということを意識すればするほど、ますますくっついてきてやっかいなことになったりします。

そういう時は、自分の感情から目を逸らすこともひとつの方法。
「○○になったら…」をやめて、別のことに目を向けます。

――今日、どうしてココを歩いてるんだっけ?
「そうだ、映画を楽しむためだった」とか「美味しいご飯を作って家族を喜ばそう、そのためにちょっと足を伸ばして食材を買いにきたんだ」、「今日は仕事で、少なくともアレをやろう」といった感じに本来の目的に目を向けてみるという方法。

こんなのもあります。
例えば、植物がそばにあったら、そこから新鮮なエネルギーを吸い込もう、とかお花が優しく見守っていてくれてるなあとか。
よいイメージを自分で作ってみるという方法。

イライラを沈めたり、リラックスできるオリジナルの言葉を心の中で唱えるのもいいかもしれませんね。知り合いに、怒りが湧いたら、鼻歌を歌うの、という方もいらっしゃいました。

子供が転んだり、乗り物の中で大泣きし始めると、お母さんがよく別のものを指差して注意を逸らせますよね。

あれと同じように、自分でココロにおまじないをかけるプロになれたら楽しくなるかもしれません猫

posted by サトウマリコ at 14:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ココロ

2006年09月21日

色のチカラ

0921sora.jpg

カラーセラピーには以前から興味がありましたが(まだまだ勉強中です)、おへれんせにブースを出すことになって、ディスプレイを考える時に、今まで以上に「色」について考えるようになりました。

意識してみると、世の中の商品や建物や商標は、随分考え抜いて色を決めているんだなあ、と改めて思いました。
服なんかも、その日の気分がでたり、逆に気持ちを引き締めるために濃い色を選んだりということを無意識にやっていることがありますね。

今朝、空を見上げると雲ひとつない青空でした。まさしくスカイブルーですね。一日お天気もよく気持ちのよい日でしたぴかぴか(新しい)

カラーセラピーの視点からいくと、「ブルーは…」というようにいろいろな解釈をつけることができるかもしれませんが、その色を見て、自分が感じる感覚を確かめてみるのもいいですね。

私にとって「ブルー」は、高校生の頃好きな色でした。特にインディゴブルーのような紺に近い濃い色が好きだったような気がします。感じている感覚でいうと、「深さ」だったかもしれません。あるいは、薄っすらと寂しいような哀しいような感覚の中に、強さが含まれていたかも。それと、ストイックさ、でしょうか。

こんなふうに、一つの色について持っているイメージは人それぞれ違うのではないでしょうか。
そして、改めてその「感覚」を言葉にしてみると、その方の持っている価値観が伝わってきたりします。自分自身が気がつくことも多いですね。

カウンセリングにも上手く取り入れられないかな?と只今構想練っているところです目


それにしても、秋ですね。。夕方見上げた空にはたくさんのトンボが飛び交っていました猫
posted by サトウマリコ at 21:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ココロ

2006年09月20日

バランス

0920asagao.jpg

昔から疑問に思っていたことがあります。
テレビやマスコミを通して、ある食品について「体にいい!」とクローズアップされ、ある時期売れ行きが伸びることがありますね。

でも、よくよく調べてみると、どの食品にも体にとって大事な働きがあるのですよね。そうすると、一つのものばかり沢山取り入れるということは、他のものが減るということになるので、バランスが悪いのではないかな?結局、いろんなものを少しずつできるだけ満遍なく食べていたほうがいいのではないかな?とまだあまり栄養の知識を持っていなかった頃から漠然と考えていました。

それと似たような考え方は、他にもいろいろあるのではないでしょうか。

何かが過剰だと、何かが犠牲になっている。
何かが足りないと、何かが過剰になっている。

だけど、実際は、全てに対して同じウエイトをかけられるわけではないかもしれません。

どうしても「今は○○を頑張らなきゃいけない時」もあるかもしれません。
お家のことより、仕事に多くの時間や精神的なものを割いたり、趣味のことで頭がいっぱいになったり。。

でも、何かに向かって頑張る時でも、他の引き出しもあるということを頭の片隅に置いておくのは大切なこと。
ほんの少し、時間や気持ちの余裕ができた時でいいから、その引き出しを開けてしっかりと中を覗いてみましょう。
足りないものがあったら、ちょっとずつでもその引き出しが必要としているものをしまっていきましょう。必要なものがあったら、そこからエネルギーをもらいましょう。

そうやって、自分を中心としたいろんなことがバランスよく繋がっていくのだと思います。

人間関係もそうですね。自分が変わることで相手も変わる。そうして微妙なバランスを取り続けながら繋がっていきます。

私は自分の中のバランスを確かめるために、時々「心の円グラフ」を思い浮かべます。そうすると、結構一つのことがどーんと割合を占めていたりします。それが、単なる不安や緊張だったりすることもあるんですね。そんな時は、それを和らげるための場所を探します。

バランスをとることって案外難しく感じることもありますが、気がついたらまめに修正していくことで、ちょっとずつ良くなっていくのかもしれません猫
posted by サトウマリコ at 10:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ココロ

2006年09月18日

おへれんせライフ

最近の「おへれんせライフ」についてです。

なんだか、人一倍他のお店を利用させていただいているような気がしてなりませんたらーっ(汗)

ツボ・経絡のお店の先生とは「体と心は繋がっていますよね」という会話から話が弾み、影響を受けて先日図書館から東洋医学の本をどっさり借りてきてしまいました。もちろん、肩こりが酷い私は施術も受けましたし…。

お肌のカウンセリングのお店の体験もさせていただきました。一度で現れる効果にびっくりぴかぴか(新しい)(※お店ではカウンセリングだけで、体験は別の場所でやります)
他の方はあまり気がついていないようでしたが、自分的にははっきりわかりました。鏡を見て、肌に張りがあると自然に気持ちも明るく、引き締まってきますね。もちろん、ボディ・ケアの方法はいろいろあると思うので、自分にあったやり方でいいと思うのですが、時々はこうしてゆっくりと体のケアすることって気持ちがいいものです。

他にも…インド料理のお店ではカレー弁当を買い、飽き足らなくて本店にも行きましたし、晩のおかずにおいしい蒲鉾を買ったり、と他にも沢山沢山いろんなお店の方々にお世話になっています。

で、、セラフィの様子ですが。。
少しずつ、お客様が来てくださるようになりました。
「悩みというほどではないんですが…」と切り出す方が多いのですが、もし「こんなことで心理カウンセリングなんて受けていいのかな」という気持ちが少しでもあるなら、是非思い切って体験してほしいと思います。
というのも、そのような形で始まったカウンセリングが、終わってみるとほとんどのお客さまから「すっきりしました」という言葉をいただくからです。

日常生活の中の少しの時間を使うことで、それまで引っかかっていたものが少しでも取り除けるなら、そして、その空いたスペースを「楽しい時間」に当てることができるなら…それはとても素敵なことじゃないかな、と思います。そのお手伝いをさせていただけるなら幸せです。

そんな気持ちで、いつもお客様をお待ちしています。

posted by サトウマリコ at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | ココロ

2006年09月16日

小さな棘

今朝、ウォーキングをしている時に、シューズの中の踵がちくりと痛みました。
小さな痛みだったので、気のせいかな?と思ったのですが、歩き続けていると確かに痛みます。
立ち止まって、シューズの内側を見たり、踵をさすったりしてみましたが原因はわかりません。

結局、家に戻ってからやはり気になって触っているうちに、太さが1ミリもないような棘が抜けました。
その細さにびっくり目
こんなに小さな存在でも、刺さると痛いし、抜かないままでいるのも心配です。
抜けた時、思いがけないくらい安堵感が広がりました。


ココロも、時々「チクッ」とすることがありませんか?
体に刺さる棘と違って、小さな痛みだから、と放っておくことがありませんか?

小さな痛みでも、なるべく早くケアして、引きずらないようにできたらいいですね。
なにかわからないけれど気になるなあ…、引っかかるなあ…という時は、虫眼鏡で見るように、その部分を大きくしてしっかり観察してみてください。
棘が見つかったら、抜いてしまいましょう。
それは例えば誰かの一言だったり、自分の失敗だったりするかもしれませんね。

抜く方法は。。いろいろあると思います。
考え方を変えることでもよいし、誰かに聴いてもらうことでもいい、文章にして気持ちを整理するのもいいし、気晴らしもいいかも。

棘を抜いたら…思っているよりずっとココロが楽になるかもしれません猫
posted by サトウマリコ at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ココロ

2006年09月13日

喜怒哀楽

最近私は朝から毎日のように泣いています。
それは、4月から欠かさず見ているNHKの連ドラが佳境に入ってきたせいなのですもうやだ〜(悲しい顔)

朝から泣くのは気分的にどうかなあ?と思うことは思うのですが、なんとなく涙を流すということ自体を新鮮に感じています。そういえば最近泣いてなかったなあ、と。。

それで、ふと最近普段の生活で、どれだけ喜怒哀楽を味わっているかな?と考えてみました。
そう考えると、意識していなかっただけで、嬉しかったこと、楽しかったこと、哀しいことがそれなりにありました。怒ること、はあまりなかったような気がします。

それにしても、年齢が若ければ若いほど、極端な話、幼児の頃が一番喜怒哀楽がはっきりしてたのではないかな?と思います。感じ方も強かったような気がしますし、少なくとも、他の人が読み取りやすい表情をしていたのではないでしょうか。

そして、大人になればなるほど、喜怒哀楽をうまく表現できなくなってきたかもしれません。
それどころか、時には心とは裏腹の表現をしなければいけない場面もでてくることがあります。

そうしていくうちに、いつの間にか感情を抑えてしまう癖ができてしまうのではないかな、と思いました。
子供の頃からすでに抑える癖がついてしまっていることもありますよね。
私もわりとそういう傾向があったのではないかと思います。

カウンセリングをしていて、自分の感情に気づくことは大事だな、と思うことがあります。
自分が何に怒っていたのか、何が怖いのか、何が好きなのか、そんなことを言葉にしていくうちに、目の前の道が少しずつ開けていくことが多いからです。

そして普段の生活でも、怒りも喜びも悲しみも楽しみも、「その時」にしっかりと感じられること、それが心を柔らかくしていくような気がします。


嬉しくない時に、無理して笑うことはない、自然体でいいと思います。

でも、怒りたかったら怒る、泣きたかったら泣く、嬉しい時は笑う…それを表現することを忘れないでいたいものです。
声に出すことができないのだったら、紙に書くことでもいい、場所がなかったら、カウンセリングルームで思い切り吐き出してもいい、一緒に笑ってもいい、そうしてそれをしっかり実感できることは、たとえ一時的に苦しかったとしても、素敵な未来に繋がっていると私は思うのですやや欠け月
posted by サトウマリコ at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ココロ

2006年09月09日

カウンセリングってなんだ?

おへれんせ、出店2日目です。
おへれんせ自体、たくさんのお客様に利用していただくために、工夫できることがまだまだいっぱいありそう。店内の装飾やPR方法や・・・。お店は違っても、大きなくくりとして同じ店舗だという意識があるから、きっとこれから出店者みんなで協力しあって、どんどん変わっていくのではないかな?そんな予感がしています。

さて、セラフィのブースですが。。
まだ多くの方に利用されてるとは言えない状態です。
カウンセリングルームが暇なのって悪いことじゃないのかな?なんて思えなくもないのですがたらーっ(汗)どうやら、そういうことではなくて、「カウンセリング」というもの自体が浸透していないんだなあ、ということを改めて感じています。

というのも、店内をゆっくり見ていただき、うちのブースの前で足を止めてくださるお客様とお話することが多いのですが、「心理カウンセリング」と聞いて、すぐにピンとくるお客様より、「何それ?」と悪気無く疑問を持たれるお客様のほうが多い感じがするのです。

そうかもしれませんね。
少なくとも、街中でこういう看板を見かけることは盛岡ではあまり無いですものね。

仕事漬けになるあまり、外から見た感覚がわからなくなることってどの業種にもあるのではないかな?と思います。

私もしかりで、今回改めてカウンセリングの良さをお伝えしたい、という気持ちを再確認できました。

お客様とお話する時に、「カウンセリングとは何か」を、どう説明するかというと、実は一律ではありません。
お伝えしたい面がたくさんあるので、お客様によって「どういう面を知ってほしいか」が自然と違ってきてしまうせいかもしれません。

それに、実際のカウンセリングも、相談される方お一人お一人で内容が変わってきますし、カウンセラーによっても違いがでてきます。

それでも、敢えてご説明するなら…。

カウンセリングは、「相談する→カウンセラーが答える」という図式ではなく、「相談者が話す」→「カウンセラーが聴く」という対話を繰り返す中で、相談する方ご自身が変化されていく、ということになるでしょうか。

確かに言えるのは、そこに聴いている人がいるのといないのとでは違う、ということかもしれません。
一人で悩んでいる方には、是非カウンセラーを「活用して」ほしいと思うのです。

そういう私も、カウンセリングに出会う前は、よくわかりませんでした。
興味はありましたが、当時は身近にカウンセリングを受けられる場所も見つけられませんでしたし。。

その後、カウンセリングというものを知って、実際受けてみてわかったことがひとつあります。
たった一言が、人を生かす、ということ。
その言葉がなかったら、今の私はありません。
でも、その一言にたどり着くために、たくさんの言葉をカウンセラーの先生と交わしました。
その過程もまた、なくてはならないものでした。

そして、気がつけば、今は自分がカウンセリングをする立場です。
一つ一つの言葉を大事に、お一人お一人を大切に、多くの方と会話を重ねたいと思っています。やや欠け月
posted by サトウマリコ at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ココロ

2006年09月01日

カードは何枚?

先日、あるセミナーで面白いゲームをしました。

3人ずつのグループに分かれて、見本の通りにトランプのカードを並べていく、というものです。
見本のカードは、2枚組のものから順番に7枚組のものまで10種類あり、カードの向きや数字は正確に真似しないと点数が加算されません。マークは違っても数字があっていれば、いくらか点数は入ります。

ところが、渡されたカードはもともと数が少なくて、はなから見本の通りに全て並べることは無理なのです。

与えられた条件の中で、いかに高い点数を出すか、というゲームでした。

まず一回目をやってみて、順番どおり几帳面にやっていっても、高い点数がでないことがわかりました。
そこて、作戦会議です。
グループ内で話し合ってさまざまな作戦をたてました。

3人はほとんど初対面。コミュニケーション力が試されます。
そして、枚数の少ないものをいくつも作ったり、枚数の多いものを優先的に作ったり、役割分担をしたり…といろんな案が出されました。
感心したのは、「他のグループのカードと取り替えてもらおう」というアイディアでした。
私は心の中で(そんなことしちゃいけない)と咄嗟に思ったのですが、実はそのやり方はこのゲームで勝つには重要なポイントだったのです。

私のチームは、作戦は上手く立てられたと思うのですが、ほんの少しのケアレスミスによって、1回目も2回目もあまり変わらない点数でした。

よくゲームをしたり、スポーツをしていると「人生の縮図だなあ」なんて思うことがあります。
人の癖って、そういうところで出てしまうのかもしれませんね。

カードゲームを通して、私はあらためて「頭が固いかも…」と思い知らされました。他にも、いろいろありましたがたらーっ(汗)

それにしても、勉強になるゲームでした。

考えてみれば、人生って、最初から全部のカードが揃っているわけではないのですよね。
欠けているカードがあって当たり前。
そこから、与えられた条件をどう生かしていくか、これが醍醐味なのかもしれません。
自分にないカードはどうやって手に入れる?
それとも、あるカードをどうやって最大限に生かす?
…というように。

高校生の頃まで、私は自分になくて他の人が持っているカードばかりに目がいっていました。

その頃に比べると、持っているカードは増えたような気がします。
それでも、無いカードも沢山あります。
けれど今は、無いカードのことより、持っているカードをもっともっと磨いて価値を上げたいな、と思います。
少しは成長できているのでしょうか時計


posted by サトウマリコ at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | ココロ

2006年08月27日

へなちょこ

私は時々へなちょこになります。
家族に言わせると、時々ではなくてしょっちゅうかもしれませんが…たらーっ(汗)

一旦、仕事モードや○○モードに集中し始めると真直ぐのめりこんで行くのですが、プライベートでは時々へなちょこになるのです。わりと小心者で、すぐにいろんなことを心配してしまうし、普段緊張することが多いので疲れがたまるのか(まわりにはそう見えないかもしれないけど)、たまーに体調を崩します。

ここ最近、少し立て込んでいたせいか、昨日の朝、目が覚めたとたんに具合が悪くなっていました。主にお腹の症状だったのですが、微熱もあって少し風邪みたいな症状も。。
安静にしていれば治るかな?と思ったのけれど、日曜は病院空いてないし、と思って、かかりつけの内科医へ。

密かに4,5日前に食べた鳥のささみにアタったのでは…なんて心配していたのですが、どうやら心配しすぎだったみたいですドコモ提供
(そんなこともすごく丁寧に教えてくれるので、お気に入りの病院です)

ともあれ、昨日はゆっくり休み、大分疲れがとれました。
そして…、先ほど久し振りにパソコンに向かったわけですが、前回のブログを読み直して焦りました。
「エスカレーター」と「エレベーター」を混同して書いてるあせあせ(飛び散る汗)
恥ずかしくって直ちに修正しました。。

あの時点で既に疲れが出ていたのかも。。それとも単にぬけてただけかなもうやだ〜(悲しい顔)


そんなわけで時々へなちょこになりますが、これも自分にとっては必要なペースかも。そういう時間がないと、いつかぽきっと折れちゃいそうだから。と、割り切ることにしています。

自分なりのペースをわかっていることって大事だと思います。こればかりは、他人と同じように、というわけにはいかないので、「他の人はできるのに」と自分を責めたりしないでしっかり休んでほしいです。結果的に、それが自分にとっても周りにとってもいいのではないかと思います。

休み方も、ただ何もしないのがよかったり、旅行や気分転換がよかったり、と人それぞれですよね。
それと、これは自分に言い聞かせてもいるのですが、10年、20年と年齢を重ねるごとに生活のペースも変わっていくもの。「今の自分」の体と心によく相談しながら、生活スタイルを調整していくとよいと思います。



ちなみに、「へなちょこ」の語源は、へなっと曲がったお猪口からきてるらしいです。
私がしょっちゅう「へなちょこ」という言葉を口にするので、ある日、夫がインターネットで調べたようです。
なんか、、想像すると可愛いぴかぴか(新しい)

posted by サトウマリコ at 11:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ココロ