2011年09月20日

カウンセリングの役割

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カウンセリングをする時に、コミュニケーションのしくみについての知識はかかせません。なぜなら、多くの場合、人の悩みには何かしらの人間関係がついてまわっているからです。

コミュニケーションというと、相手に対してどのような伝え方をするか、ということに目が行きがちですが、実はその前の段階で大切なことがあります。

それは、「自分の気持ちに気づいていること」です。
<自分で自分の気持ちがわからない>ということを不思議に感じるでしょうか。
確かに単純に「今日はこれが食べたいな」とか「この仕事はあまり好きではない」といったことはわかりやすいかもしれません。

でも、「なんとなく何かがひっかかる」とか「気持ちがモヤモヤするのだけれど、はっきりと言葉にするには難しい」という場合があります。

また、この感覚には個人差があり、自分の気持ちにアクセスしやすい人もいれば、なかなか繋げない人もいます。

理由はいろいろあるかもしれませんが、そのうちのひとつに、小さな頃からの心の癖があります。
例えば、それは親子の間で、いつも行われてきたコミュニケーションに関係している場合があります。

「男の子なんだから泣いてはだめ」とか「すぐそうやってむくれるんだから」「いつもにこっとしていなさい」などという言葉は、親にしてみれば、強く生きてほしい、素直に育ってほしいという願望の表れかもしれませんし、それほど深く考えずに口にしていることかもしれません。

子供は、こういった「〜しなさい」というメッセージを繰り返し受け取ると、それを忠実に実行し続ける場合が多いことがわかっています。
つまり大人になっても、嫌なことがあっても顔に出さずに引き受けたり、泣きたいほど悲しいことや苦しいことがあっても誰にも助けを求めずに一人でこらえようとして、心身ともに限界をきたすのも、こういった心の癖の延長にあることがあります。

こんなふうに、「いつのまにか」その心の癖はついてしまいます。


私自身が最近気づいたことは、感情ではなく、味覚にアクセスしづらい、ということでした。
というのも、私の母の口癖は「ほら、おいしいよ」なのです。食卓に並ぶ母の手料理は、もうその時点で「おいしい(に決まっている)もの」だったのです。

もちろん、私の食への関心の薄さがすべて母の影響とは限りませんが、私はかなり長い間、世の中で「まずい」と思う食べ物に出会ったことがありませんでした。外食をしても、どこで何を食べても、ほとんどのものは「おいしいもの」だったのです。
私には、食べ物に関して「おいしいか、おいしくないか」を考えるという思考がすっぽり抜け落ちてしまっていたようでした。

そんな私から見ると、何かを食べて「ちょっと変な味」「これはもっとこうしたほうがいい」というように批評している人に違和感を覚えるわけです。

けれど、この頃になってやっと、気がつきました。
味に違いがあることと、(大方は「好み」で左右されるけれど)感じたことを口にしてもいいのだ、ということをです。

私の味覚と同じように、長い間、自分の感情を「感じないように」してきた人もいます。
前述のような親子でのやりとりがあったり、若しくは、そうしたほうが、生きやすい環境にあったからです。
大人になって、もう大丈夫、自分のことは自分でできる、という環境になってから、少しずつ殻を破るように「感じてもよい」という体験をしていく人がいます。そういった方は決して少なくないのではないかと感じています。

私は食に関しては、今でもほとんど「おいしい」以外の言葉を使うことがありません。実際そう感じることが多いということもありますが、慣れないことをするのは怖いからです。

感情も一緒です。

自分の何かを変えようとする時、他人からは簡単なことに見えても、本人にとっては怖かったり難しかったり、よくわからなかったりします。

自転車に乗るとき、最初補助輪をつけて練習したり、誰かに後ろから押さえてもらったりしますね。
同じように、カウンセリングでは、これまでになかった感覚で、自分の感情を感じたり、それを表現をしていくためのお手伝いもしています。
カウンセリングが進む過程で、自然な流れとしてそこに行き着く場合が多いです。
そしてそのような流れに乗った時点で、大きく前進したという手応えをクライエントさんと共に感じるのです。
posted by サトウマリコ at 15:41| Comment(0) | カウンセリング

2011年04月04日

「カウンセリング」ってどんなもの?

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「カウンセリングってどんなものか」を知っていただきたくて、もっと利用していただきたくて、このカテゴリ(カウンセリング)で、これまでも自分なりに言葉を尽くして紹介してきたつもりでした。

私自身が、カウンセリングを受けたことで、「助かった」し、「救われた」し、多分あの時カウンセリングを受けていなかったら、今の自分はなかっただろうな、と実感しているからです。

それは、人が「助かった」り、「救われた」りする時に、ある時は、一冊の本であったり、映画であったり、音楽であったり、親友やほかの大切な誰かの言葉であったり……というのと、同じように語られてよいことだと思います。
でも、それぞれに、それぞれの良さがあると思います。

だから、もう一度、もう少しだけ、「カウンセリングってどんなものか」をお伝えしたいと思います。

私が、カウンセリングを受けたのは、カウンセリングの勉強をし始めた後でした。
勉強している間は、知識としてはいろいろ吸収していくものの、勉強が進むにつれ、「実際どんなものなのか」という実感が欲しくてたまらなくなっていきました。

一方で、どこかに、「カウンセリングを受けること」に対する、微かな抵抗も正直ありました。
実感が欲しければ、受けてみればいいだけのことなのに、その敷居をまたぐことが、それほど簡単なことではありませんでした。
何故か、と振り返ると、「カウンセリングを受ける人」と思われることに抵抗があったのかもしれないと思います。それは、友人などには話さなければ知られないことでしたが、カウンセリングを勉強している自分がカウンセリングを受けるとういことを、教えてくれる先生にどう思われるか、勉強仲間にどう思われるか、ということだったかもしれません。それに、「カウンセリングを受ける」こと自体が、初めてでなんだか申し込むまでにとても勇気がいったのです。

今は、違います。
年に数回か、それ以上の長い間隔となりましたが、自分の心のコンディションが乱れそうな時は、風邪で病院に行くのと同じ感覚でカウンセラーの門を叩きます。
それは特に、自分の心のケアに、より敏感になることが大切な職業だから、ということもいえると思います。

カウンセリングルームを訪れる方の中にも、(迷ったあげく勇気を出して予約を入れてくださったのだと思いますが)「自分のような悩みでカウンセリングを受けに来て申し訳ないです」というような気持ちでいらっしゃる方は、少なくないようです。

お一人おひとり感覚は違うかもしれませんが、カウンセリングを受けるということは、結構大変な状態なのだろう、というイメージをもたれている場合もあるのではないでしょうか。


今、カウンセリングを学ぶには、中身は膨大なものでありながらも基本的には同じなのに、カウンセリングを行う場は、様々です。

精神科医が診察中にする会話を「カウンセリング」と呼ぶ場合もあります。
精神科や心療内科といった病院の中に、カウンセラーが配置され、医師と連携をとりながら、症状を改善するために行う場合もあります。
企業内になんらかの形で配置されているカウンセラーもいると思います。
学校にはスクールカウンセラーがいます。

それで、同じ「カウンセリング」でありながら、もしかすると、環境や目的が多少違ってくる場合もあるのではないか、と思います。

私の所属する「盛岡心理カウンセリングセンター」は全く独立した施設です。
必要があると思われた場合には、他の施設を訪れることをお勧めすることはあります(あくまでもお勧めで、強制的なものではありません)。
基本的に、カウンセリングの中でお話しされたことが、外部に伝わることはありません。(この基本は、どのカウンセリングでも同じです)


そして、話す内容は自由です。

もし、気持ちを吐き出したいという目的なら、カウンセラーは、邪魔をせず、ちゃんと吐き出せるようにお手伝いします。
心から、ありのままの気持ちをお聴きします。

もし、問題を解決したいという目的なら、カウンセラーは、それまで悩んでこられたことをねぎらい、解決の方向に向けて、一緒に考え、提案し、必要に応じて心理療法を施すなど、お手伝いします。

もし、自分の目的が何なのかよくわからずに、ただ、苦しさを抱えていらした時には、カウンセラーは、その苦しさを一緒に感じながら、ゆっくりと解きほぐしていきます。


カウンセラーは、「正しいこと」「道徳的なこと」を諭すためにいるのではありません。
カウンセラーの思い込みによる「よい方向」へ無理に導くためにいるのではありません。

カウンセリングの目的は、カウンセリングを受けた方が、楽になり、自分が本来持っている力を取り戻したり、気づいたりしていくことだからです。

「皆に比べたらこんな悩みなんて」
「自分だけ弱音を吐くわけにはいかない」
「こんな恥ずかしい自分をさらけだすわけにはいかない」

そんなお気持ちがあるかもしれません。
それなのに、無理にカウンセリングをお勧めするわけではないのです。

ただ、つらい時に「つらい」と呟ける相手と場所が、ここにある、ということを心の片隅に留めておいていただけたら、と思います。

つらい気持ち
くじけそうな気持ち
哀しい気持ち
疲れたという気持ち
どうしていいかわからない気持ち……

そうなった理由が、なんであろうと、かまわないのです。
がんばったり前向きになったり、気持ちを抑えることも、必要な時はあると思います。

でも、どこにもこんな気持ちを呟く場所がない時は、どうか「カウンセリング」を思い出してください。
posted by サトウマリコ at 18:05| Comment(0) | カウンセリング

2010年12月10日

カウンセリングの効果

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最近は国でも地方公共団体でも事業をするには「費用対効果」というものを考えながら、新事業を始めたり、廃止したりすることが定着してきたようです。
いくら、「やりたいから!」「いいものだから!」といっても、「無い袖は振れない」といわれると返す言葉がありません。
(これは、家庭内でもいえますね……)

一般企業では、儲けがなければ意味がないというのは当然だと思うのですが、公共の事業の場合、費用がどれだけかかるかは事務的に計算できるとして、「効果」はどうやって説明するのが妥当なのでしょう。
あくまでも数字対数字の世界なので、例えば、それだけの費用をかけて、「何人の人が・どうなったのか」という効果を示さなければならないと思うのです。が、「何人の人が」までは、どうにか統計をとることができても「どうなったのか」の部分というのは、図りしれない気がするのです。

どの分野でもそれは共通していると思います。

『道路がひとつ完成した。莫大なお金がかかった。
その道路を使う人は便利になった。でも、一日に通る車は10台です』(極端な例です)


そうなると、誰が見ても、費用に見合った効果ではないだろう、と感じるかもしれません。
でも、都会の人はすいすいいろんな道路を使っているのに比べて、例えば、地方で山の中をくねくねと急カーブをいくつも超えて、しかも冬場は凍結していたら、移動するのが本当にきついですし、危険で諦めざるを得ないということもある。だけど、まっすぐで凍らない道路がもし通ったら、その道を通って、諦めていた多くのことができるようになるかもしれません。

自分の病状にあった病院に行ける。仕事の選択肢が広がる。習い事に行ける。趣味を楽しめる。そういったことは、人としてものすごくプラスの財産になって、その財産を身につけた人が、将来、何かをしたことで、大きなことが動くかもしれません。いきなり大きなことではなくても、ちょっとずつ連鎖が広がっていくかもしれません。結果として、経済に影響もでるかもしれませんね。何が起こるかわからない。
だけど、そのようなことは、「効果」として数値化することはされないでしょうね。

さらに教育や福祉、あるいは人を育てるなどソフトの分野では、もしかすると、事業仕分けのような場面では、かなり苦しい思いをするかもしれません。
効果を説明するのが難しいのです。

例えば、今、子供達を自然の中で何泊何日でキャンプさせる、という事業があったとします。コストは計算できると思います。
では効果は?
資料として出せるのは、参加人数とせいぜい参加した子供達の感想くらいではないでしょうか。
そのキャンプで得たものの効果をどうやって説明できるでしょう。



いつものように前置きから書いたら、やはり長くなりました。

実はカウンセリングもそうなのです。

「カウンセリングの効果は?」と訊かれて、わかりやすいのは、「こういう症状がなくなりました」ということかもしれません。
また、カウンセリングの講義の中で語られる、一般的なカウンセリングの効果、という説明のしかたはできます。
でも、その人にとって、どんな効果があったのか? というのは、結局意識するにしろ、しないにしろ、その人にしかわからないと思うのです。

カウンセラーとしては、カウンセリングという時間は共有できるけれど、その時間が過ぎた時に、その時間が、その人に何をもたらしたか、ということは、実際のところ知るのは難しいのです。時には知る機会もありますが、受けた人以上にはわからないと思います。
仮に、他人に納得できるような説明ができるとしても、「守秘義務」を超えて、それをすることはできません。


その点で、今朝、興味深い番組を見ました。

NHKの朝の情報番組に、ゲストとして俳優の堺雅人さんが出ていたのです。
話題が高校生の頃のことになった時。

堺さんは、よくスクールカウンセラーさんとお話していたそうです。

「堺さん、悩んでいたんですか?」と司会の方が尋ねると、
「悩んでいたというより、悩んでいるというふりをしながら、その先生(カウンセラーさん)と話したかっただけかもしれません」と答えていました。

うーーん、カウンセラーの私としては、興味深い、というか、言葉にしにくい複雑な心境です。

ちなみに、カウンセラーの方は男性だそうで、その人柄に魅力を感じていたとのこと。いろいろなことを自分から引き出してくれる存在、と感じていたようです。
私は家事をしながらの「ながら見」だったので、途中の流れがあいまいなのですが、テレビ局がそのカウンセラーさんに連絡をとったようで、当時の堺さんがどんな高校生だったのか、コメントがありました。曰く、「自分で悩みの問いを作って、自分で答えてしまうような」タイプだったようです。

それを受けて堺さん。
「その先生から教わったことが今でも生きています。先生は、哲学的なことをおっしゃって、『問い』というのは、自分でそれを見つけた時、すでにかなりの部分を進んでいるんだよ、というようなことを。俳優の仕事でも、同じようなことがいえると思っています。問いが出てきた時点で、その役をやるのに、すでに大分進んでこられているのかなと」(注:私の記憶ですので、大意と思ってください)

ゲストとして、役柄を持たずに話す堺さんは非常に頭の回転が速く、しかもそれを瞬時に言葉で表現できる方のような印象を受けました。
そして、上のやりとりや他の話を通して思ったことは、自分自身に自覚的である、ということです。
自分というものが、何をしているのか、わかっている。心理学の言葉でいうと「自己一致」できているのです。

もともとの素質なのかもしれませんが、おそらくカウンセラーさんと多くの時間を共にしたことも、その一端を担っているのではないか、と思いました。
約20年前のスクールカウンセラーさんの言葉が彼の中で生きているわけです。時の長さを感じさせないほど、生き生きと。当然、そこで過ごした時間は、今の堺さんの中で、何かしらのポジションを持ち続けているのではないでしょうか。

そして、「その」堺さんの活躍を見て、励みにされたり影響を受けている人の数は、数え切れないほどいらっしゃるのでしょう。(もちろん経済活動にも影響は出ていると思います)

こういった場で、本人から明かされて初めて、カウンセリングがその人にどのような影響(効果)を与えたかがわかるわけですが、きっとカウンセリングを受けた方、一人ひとりに物語があるのだと思います。
(カウンセラーの力不足、若しくは、相性の問題、カウンセリングを受けた時の状態によっては、残念ながら、記憶に残らないカウンセリング、もしくは効果のないと感じられるカウンセリングもあると思います)



と、いうような「効果」を、前半で述べた「費用対効果」の世界で説明するのは、とても難しいのです。
国の事業仕分けで、あるカウンセリング関連の事業の「効果」を全く理解されなかった事例の議事録を読みました。理解もされなければ、説明もできていないところが、歯がゆいです。
本県の事業にもスクールカウンセラーの事業があります。これは現在、拡充の方向にあるようです。

何にしても、数字や効率だけでなく、本来の「効果」を示していけるといいのですが。

公共の事業に限らず、カウンセリングの効果を発揮できる場が増えるように、また一人でも多くの方に効果を感じていただけるように、自分としては研鑽を積むばかりです。
posted by サトウマリコ at 16:07| Comment(2) | カウンセリング

2010年10月08日

カウンセリングルームの窓12

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7月下旬、市内のT高1年生の生徒たちが、当センターを訪ねてきてくれました。
文化祭に向けて、班毎にいろいろな職業の人にインタビューを行っていたようです。

暑い夏の真っ盛り、日焼けした男女4人の生徒たちのはにかみながらも礼儀正しい姿勢に、こちらも背筋を伸ばし、川村センター長と私がインタビューを受けました。

街の新聞社の方などから何度かインタビューを受けた経験はありますが、その度に自分自身の仕事に対する姿勢を再確認するような気持ちになります。
今回は特に、将来のことを考える時期にいる皆さんが相手でしたので、ますますこの仕事について丁寧にお伝えしたいと思いました。

質問の内容は、なぜこの仕事についたか、注意していること、大切にしていること、やりがいや楽しみなど、本質的な部分ばかり。
少し汗をかきながら、一生懸命お答えしました。

嬉しいことに、先日、丁寧なお礼状と感想のお便りをいただきました。

了解を得ておりますので、一部分だけご紹介したいと思います。

***
【お礼状から】
私たちが今回、心理カウンセラーという職業について深く知りたいと思った理由は、今まであまり直接関係することがなく、具体的な仕事を知りたいと考えたからです。お二人の話を聞いている中で、心理カウンセラーという仕事はとてもやりがいがあり、私たちと深く関わっている仕事だということがとてもよく分かりました。

今後は、このインタビューによって得られたことを基に自分自身の進路選択、将来のことを考えていき、これからの高校生活をより有意義なものにしていきたいと思います。

【感想】
今回、川村さんと佐藤さんに心理カウンセラーについていろいろと聞かせていただき貴重な体験をすることができました。心理カウンセラーという仕事は自分にはあまり関わりがなく、どのような仕事なのかよくわからなかったけれど質問をしていくうちにとてもやりがいのある仕事なんだなと思いました。悩みを抱えた人たちを言葉だけでいい方向に持って行くということはとても難しくて大変なことだけれども、相手がよくなったり、気持ちが楽になったりしたときにはとてもやりがいを感じるそうです。自分は将来どんな仕事に就くかわからないけれど、どんな仕事についてもやりがいを見つけて一生懸命働こうと思いました。
***

いうまでもありませんが、職業選択というのは人生の大きな岐路だと思います。

振り返ってみると、私自身が生徒だった頃は、あまり「仕事」というもののイメージがわかず、できることなら、直接いろいろな「仕事」というものにふれる機会を、中学生、高校生の頃に持てるとよかったのに、と思ってしまいます。
最近は、こういった活動はよくみかけるようになった気がします。

お礼状や感想に書かれてあったとおり、どんな職業を選ぶことになろうとも、是非今回のインタビューを参考にしていただければと思います。

次代に伝えていくのは、前の世代の役目。ちょっとでもその機会をいただけたことは嬉しいものです。

きらきらした瞳に囲まれて、元気をもらった夏の日でした。
posted by サトウマリコ at 17:32| Comment(2) | カウンセリング

2010年09月26日

カウンセリングルームの窓11

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「どんな時にカウンセリングルームを使えるか・その8」

誰かのことで悩んでいる時。

そんな時もカウンセリングはお役に立てる場合があります。

誰かのこと、とは誰かというと、多くは「身近な人」のことです。

家族……子供、親、きょうだい。
友人、職場の人、夫、妻、恋人などパートナー。

例えば、その相手との関係がうまくいっていない時。
もつれた糸のように、原因はひとつではなく、いろいろな要素が絡まっているのかもしれません。

例えば、その人を助けてあげたい時。
だけど、どうやって助ければいいのか悩んでしまうかもしれません。

例えば、その人の存在が、何かの形で自分の気持ちや体調に関わってくる時。
離れれば問題は解決するのかもしれないけれど、簡単に離れられる環境ではない。では、どうやって付き合っていけばいいかと悩むかもしれません。

いろいろなパターンがあると思います。

そして問題があるのは、自分ではなく相手だ、と思うこともあるかもしれません。

それでも、その「誰か」のことで、自分が悩んでいるのなら、そのことをカウンセリングという守れた空間でカウンセラーに話すことによって、もつれた糸がほどけたり、どんな姿勢で援助すればいいのか納得がいったり、相手の気になるところを見つめることが実は自分自身を見つめることになったり、ということが起きてくるかもしれません。

前回のお話と同じく、私は正しい答えはもっていません。

ただお気持ちに寄り添いながら話を聴かせていただくことになるかもしれません。
あるいは、一緒に答えを探すために、いろいろとお訊きするかもしれません。
私の持っている知識があれば、選択肢として何かをお伝えするかもしれません。

でも何より、お話をすることで、楽になってほしいのです。

人間関係のストレスは、目に見えない、無意識に見ようとしないことかもしれませんが、思っているより大きいもの。

もしも、一人で抱えているのがつらくなった時は、<問題のある誰か>ではなく、<悩んでいるご本人>に利用していただければと思います。
posted by サトウマリコ at 22:02| Comment(0) | カウンセリング

2010年09月21日

カウンセリングルームの窓10

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「どんな時にカウンセリングルームを使えるか・その7」

インターネットの世界をうろうろしていましたら、先ほど、「エグゼクティブカウンセリング」「ビジネスカウンセリング」という言葉を目にしました。
これは、まだきちんとここでお伝えしていなかったことかな、と思い、書くことにしました。

「カウンセリング」というのは、日常生活に支障があるか、それに近い状態の方が、よりよい状態になることを目指して受けるもの、というイメージをお持ちの方が多いと思います。つまり、マイナスをゼロに、という考え方です。
確かに、臨床心理学の用語と捉えれば、大筋ではあっていると思います。

同じような技術を使うのに、もっと強くなりない、上昇したい、という場合にゼロからプラスへ、という意味でコーチング、という言葉が使われたりします。(正確にはカウンセリングとコーチングには違いがあります)

どういう状態がマイナスで、どういう状態になればプラスと言えるのか……。それは主観が大きく影響するので、定義が難しいと思います。

そういったものを一旦取り払って、カウンセラーの役割を、「じっくり自分の話を聴いてくれる」「問題が解決したり、気持ちが楽になるような言葉を持っていて、それを適切なタイミングでかけてくれる」「技術のみならず、相手の存在をあたたかく見守ることができる」そういったものだと思っていただけると、どんな状態にいようとも、お役に立てることが多くの場面であると思うのです。

どこからどこまでがカウンセリングなのか?と捉われることなく、もし、悩んだ時には、是非利用してほしいと思います。

体調や人間関係はもちろんですが、仕事の上での悩みも、人には相談できないことが多くあります。

どうしたら、もっとスキルアップできるのか? 
苦手なことを克服できるのか?
いろんなことがうまくいくようになるのか?

私はその「答え」は持っていません。
でも、その人個人にしかない「答え」を引き出すお手伝いはできます。
ビジネス書は沢山でていますが、その人の悩みに対する答えを、普遍的な言葉の中から見出すことは容易ではない、ということです。

実際に、一人の方のカウンセリングを行う時には、仕事の悩み、プライベートの悩み、プラスの状態の時、マイナスの状態の時などが、織り交ざっているものです。

「カウンセリング」を一人では行き詰まってしまいそうな時の、「思考の場」として使うことは有効だと思います。

仕事のうえで悩んでいる方も、ぜひカウンセリングを利用していただければと思います。ただし、どちらのカウンセリングルーム(又はどのカウンセラー)でも同じような考えとは限りませんので、これは、私のカウンセリングに限ってお話ししていることです。

先ほど、「答えはもっていない」と書きましたが、お話するベースとして、長年組織に所属していた経験、経営者としての経験が、普段のカウンセリングに多少なりとも生かせていると感じています。

一度来ていただけると、悩んだ時に、ぱっと来て相談する、そんな使い方もありますし、実際そのような使い方をしていただいている方も多くいらっしゃいます。また、守秘義務がありますので、そこも友人・知人に話すのとは大きな違いがあると思います。
ビジネスパーソンの方々も、必要だと思われた時は、ぜひお声をかけてください。
posted by サトウマリコ at 11:57| Comment(0) | カウンセリング

2009年05月28日

カウンセリングルームの窓9

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引き続き、思い浮かんだことを綴ってみたいと思いますドコモ提供
カウンセリングルームの舞台裏、カウンセラーの呟きだと思ってください。

前回、カウンセリングを必要だと思った人を迎え入れる準備、ということについて少し触れました。自分がどんな準備をしているのか、ということを考えてみると。。

例えば、落ち着いて話ができるような環境を整えることもそのひとつです。
いろいろな制約がある中で、できるだけ利便よく来ることができて、部屋の外の騒音や、部屋の中の家具をどんなものにするか、配置はどうするか…様々なことに気を配り整えるのは、どこのカウンセリングルームも同じだと思います。

そういったハード面での準備もさることながら、実際にカウンセリングの仕事を始めてみて気づいたのは、カウンセラーである自分自身のコンディションを整えておくことの大切さです。

私の場合は、カウンセリングを90分で行うことが多いのですが、その間、かなりの集中力を必要とします。

一人の人のお話を伺うとき、背後には、その方の年齢と同じだけの時間が横たわっています。その時間の中で様々な経験をされたわけですし、身につけた考え方もあります。そして今、自分の人生に起こったことに、なんらかの問題や疑問を感じて、カウンセリングルームを訪れているわけです。

たった90分で、その人以上にその人を知ることはできません。
カウンセラーにはわからないことが沢山あります。
それでもなんとか、その人の本当の問題になるべく正確に行き着き、一緒に考えることができるように努力をします。
だから、普段友達と世間話をする時とは違った筋肉の使い方をします。
一瞬一瞬が勝負なわけです。

他の仕事でも同じだと思いますが、身体的にも精神的にもいい状態でいないと集中力が保てないと思います。

具合が悪ければ、たとえ数秒のことだったとしても自分のほうに意識がいったりしますし、自分自身が悩みを抱えていて精神的に安定していないと、どこかでミスがでるような気がするのです。

というわけで、カウンセラーの仕事を始めて、さらに体調管理には気を使うようになりました。特別なことをしているわけではないのですが、以前よりは食事のバランスが改善されたと思いますしたらーっ(汗)風邪もあまり引かなくなりました。

そして精神面については、家族や身近な人をこれまで以上に大切に思えるようになった気がします。自分がこうして仕事をしていられるのも、家族の支えがあってのこと、と思うのです。

とはいうものの、カウンセラーだからといって、完璧な人間であるわけではありません。
病気もしますし、悩みがあるのも同じ。
私にも持病があるし、どうしてもなかなかクリアできない困った癖もあります。
ただ、そういうことに対して立ち向かうこと自体も、カウンセラーという仕事をするうえで、すごく役にたっているなと感じています。

つまり今の自分がしていることは、全てカウンセリングに役に立つということが、最近わかってきました。

仕事をしている時以外は、淡々と日々の生活を送っている時間が多いわけですが、そういう時間を丁寧に過ごすことが大事なんだな、と。<日々是好日>・・・そんな心境の毎日です。
そして、こんな毎日を送ることも、広い意味では準備になるのかな、と思うのです。
posted by サトウマリコ at 12:44| Comment(2) | カウンセリング

2009年05月21日

カウンセリングルームの窓8

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もうすぐ、セラフィとしての活動は幕を閉じます。私のカウンセラーとしての活動は継続していきますし、いろいろな角度から考えたうえで、よりよくなっていくための変化ですので、今は新しいカウンセリングルームでの活動を楽しみにしているところです。

……といっても、自分の思いを全面的に託したセラフィの運営でしたから、なんとなくですがこの頃は「振り返り」の時間が多くなったように思います。今日も、声をかけていただいた先輩とカウンセリングについていろいろ語り合いながら、自分がどんな思いでカウンセリングルームを開いたか、ということをあらためて思い出しました。もちろん、カウンセリングルームを開くということは、コンセプトをしっかりさせていきますから、これについては、ぼんやりしたものではなく、何度も何度も自分の中で確認したことです。そして、日々のカウンセリングで、そのコンセプトが実現できているか、ということについて感じる機会も多いです。

思い浮かぶままになってしまいますが、またカウンセリングルームについて書いていきたいと思います。



最近あらためて感じているのが、「やっぱり<カウンセリング>の敷居は高いんだな」ということです。


セラフィのカウンセリングルームは、性別問わずさまざまな年代の方に利用していただいています。

10代から60代まで、立場はいろいろ違えど、何かの目的を持って「カウンセリングを受けよう」という決意をなさった方々です。

そういう意味では、「なるべく敷居の低い」「どんな悩みでも話せる」カウンセリングルームにしたかった、という目的はある程度満たされているのかもしれません。
(ちなみに、このコンセプトは、私自身が、深く悩んだりした折々の分岐点で、こんな場所がほしかった、と望んでいたものを形にしたものです。)

来てくださる方の話を伺いながら、その方が必要としていたのは、精神科でもなく、行政の無料相談でもなく、学校や企業の中のカウンセリングルームでもなく、占いでもなく、教会でもなく、<この>カウンセリングルームでよかったのだ、と思うことが多くあるのです。

もちろん、今例としてここに挙げた場所がまさに必要な場合も沢山あると思います。
ただ、セラフィに来てくださった方は、この場所だからこそ、今この話をしていらっしゃるのだろうな、と感じるのです。

そういう意味では、潜在的なニーズもあったうえで、私のコンセプトがちゃんと伝わったのかな、と思えて、嬉しいことです。


で、最初に戻ると、それでも実際カウンセリングを受けにくる方は、人にもよりますが「思い切って」来ているのだな、と感じるわけです。

それは、カウンセリングに来る方と話していると、ほとんどの場合、本やネットで多くのことを調べていること。そして、できることなら、自分で解決したいと思い、そこで得た知識をもとに実践しようと試みた話からわかります。
(実際に、セルフカウンセリングのやり方、というような本などは多くありますし、私もコラムなどでちょこちょこヒントになる考え方を書いたりしているわけです。)

そして、カウンセリングに来たのは、本で読んでもその通りにできなかったから、という場合が多いのです。


そこまでしてから、やっと面談のカウンセリング受けようと思うことについては、「それはそうだろうな」と思います。
友達にも親にもできない話、まだ誰にも話したことのない話をしにいくわけです。
確かに他人だから、利害関係がないから話しやすい、ということはあるにしても、どんなカウンセラーにでも話せるか(正確にいうと話す気になるか)、というと、そうとは限らないと思うのです。

それは、私自身がカウンセリングを受けるとしたら、と想像すると容易に理解できます。もし、私がインターネットで調べて、どこかのカウンセリングルームを選ぶとしたら、間違っても検索して一番上に出てきたところ、という選び方ではなく、ひとつでも多くそのカウンセラーなりルームの情報を知り、信頼できそうだという手掛りを掴んだ上で選ぶと思います。
それも、よほど、その人の人となりや信頼性がわかるような何かがなければ、躊躇すると思います。

そして、仮に、あ、このカウンセラーさんなら良さそう、と思ったとしても、実際に申し込むのには、あとひとつ越えなければならないハードルがあるように思います。

それは、「自分の問題と向き合う」という、覚悟だと思うのです。
それがなければ、貴重な時間とお金を使う決心はつかないように思います。


カウンセリングルームを開いた頃は、「なんとか敷居を低くしたい。もっと気軽にカウンセリングを利用してほしい。カウンセリングって、受けてみると、心配しているよりもずっといいものかもしれないから、多くの人に知ってほしい。」そんなふうに思っていました。

でも今は、少しだけ変わったように思います。
利用してくださる方が、ここを訪れるまでに逡巡されたんだな、と感じる時、「もっと敷居を低くしなきゃ」と思うのではなく、敷居をまたいで足を踏み入れてくださったことに意味を感じるようになったのです。
カウンセリングを受けるまでには、どんなに低くしても、越えなければならない敷居があるように思うのです。

つまり、カウンセリングを申し込んだその時点で、既にその方の何かがプラスの方向に向かって動き出している、ということです。


だから、予約するまでの思いを巡らす過程も大切にしてほしいと思い、そうすると、私は「とにかくまずはいらっしゃい」と、来訪をせまるのではなく、<行こうと思った時にいつでも迎える準備をしておくことに腐心したいな>と考えるようになったのです。

ただ、よくいただく感想として、「本を読んでもよくわからなかったけど、話してみると、随分違うものですね。すっきりしました」といわれることがあるのですが、そんな時は、心の中で「そうでしょう、そうでしょう、言葉にして人に話すって、こんなに違うでしょう。だからもっと早くきてくれればよかったのに!」と思ってしまったりするのですドコモポイント

いずれにしても、カウンセリングを必要以上に怖れることなく、気持ちがモヤモヤするな、と思ったらぜひ利用してほしいですし、カウンセリングというものをもっと多くの人に知ってもらいたい、という気持ちは変わらずあります。
そのためには、もっといろんなことをオープンにお伝えする努力をこれからもしていかなければ…そんなことを最近思っていますドコモ提供
posted by サトウマリコ at 23:22| Comment(0) | カウンセリング

2008年08月27日

カウンセリングルームの窓7

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「どんな時にカウンセリングルームを使えるか・その6」です。

今回は「自分を励ましたい時」。

みなさんは、自分が褒められた記憶というのはどれくらいありますか?

おそらく子供の頃の家庭や学校での環境の違いも大きいのではないかと思います。

たくさんの褒められた記憶を持っている方、中には親に褒められた記憶がないという方もいらっしゃると思います。

どちらの方も、大人になって、社会の中で働いたり、家庭に入ったりすると、他人に「褒められる」機会は多くはないのではないでしょうか。

「どれだけ頑張っているのか」は敢えて他人に見せるものはないので、なかなかわかってもらえないこともあるでしょうし、それぞれ自分のことで忙しくて、他の人の様子に気づく余裕がない、ということもあるかもしれませんね。

本当は子供も大人も、自分のことを認めてほしい、という気持ちは同じなはず。
頑張ったら、その頑張りを「すごいね、よくがんばったね!」と言ってもらえたら、苦労も吹き飛んだりしますよね。

誰も褒めてくれないから自分で自分を褒める、というのもひとつの方法ですが、やはり他人から生の肉声で褒められると感情の部分での癒され方が違います。

カウンセリングルームでは、自分が必要としている時に、「自分のやってきたこと」を言葉にして、そして<今、必要な>いたわりの言葉をカウンセラーからもらうことができます。

それは、<カウンセラーというのはとにかくクライエントを褒めるものだから>ではなくて、普段は人に明かすことのない、自分でも気づいていなかったかもしれない「頑張り」を、ゆっくりと振り返ることができる場だからです。

これまでどこかの引き出しに押し込んでいた感情を、解放してくようなお話の聴き方をするのがカウンセリングなので、カウンセラーが上手にお話を聴くことができれば、自ずとその人への賞賛の言葉がでてくるのです。



これは最近のことですが、私は久しぶりに悩んでいましたドコモポイント
(実はまだ過去形になっていないかも。。たらーっ(汗)

悩みそのものは時間とともに薄れていくかもしれませんが、ネガティブな感情自体が久しぶりのもので、あらためてそのつらさを感じることができました。

その一連の話をカウンセラーの先生に聴いていただいた時、その先生はこんなふうにおっしゃいました。

「そのことは、佐藤さんのカウンセリングにどんなふうに影響しているの?」

そうなんです。
これまでに経験した悩みももちろんですが、今現在悩んでいるという実感は、私のカウンセリングに影響を与えていたと思います。
悪いほうへではなく、良いほうへ。

実は私も感じていたことなんですが、この質問であらためて一連の出来事を前向きに捕らえることができました。
苦しみを感じる力は、相手の苦しみを想像する力にもなります。
おそらくこれまでの聴き方だったらできなかっただろう、と思えるセッションがいくつかありました。



その先生の一言は、私のことを励ます言葉でした。

もちろん、「頑張ってるね」「すごいよ」という直接的な言葉もとても大事だと思います。

ですが、深いところを見通した励ましは、カウンセリングならではなのではないかと思います。


なんだか心が疲れている…そんな時は自分の頑張りに対するご褒美が足りていないのかもしれません。
自分自身ですら見落としがちなその頑張りを一度ゆっくり振り返ってみませんか。心の叫び声が聴こえてくるかもしれません。そしてその声にカウンセラーとともに応えてあげましょう。

そして、充分に気持ちを吐き出すと、心が軽くなります。
一歩踏み出したい……そんな時にはぜひカウンセリングをご利用くださいドコモポイント
posted by サトウマリコ at 13:27| Comment(0) | カウンセリング

2008年06月23日

カウンセリングルームの窓6

CIMG1247.JPG「どんな時にカウンセリングルームを使えるか・その5」ですドコモポイント

前回に引き続き、私自身の経験を振り返りながら、「こんな時にカウンセリングルームがあったら役に立ってた!」という状況を抜き出していきたいと思います。

今日は、自分のことを振り返ってみて、おそらく人生で一番カウンセリングが必要だった時、というのはあの時では……という部分です。



今日の新聞に、こんな記事がありました。

弁護士が電話相談に応じる「過労死110番」が今年で二十年を迎えたのを記念して都内でシンポジウムが行われたそうです。
その中で、心の病から自殺に至るケースの原因として「目標が達成できない」や「長時間労働」よりも「嫌がらせ」が上回ったとの研究結果が明らかにされたそうです。

背景に、仕事の結果のみを追求する厳しい成果主義の態勢の中で、上司にも部下にもプレッシャーがかかっている、そして下請けや出向など立場の弱い人にが標的になりやすい、という状況があるようです。また、昔に比べると、上司と部下の信頼関係が薄く、同じ言葉を使っても受けとめる影響が大きくなっている、という内容も記事では紹介していました。



話は、自分自身の体験になりますが、勤めていた頃、月100時間以上の超過勤務が続いた時期がありました。
体力的にもきついものがありましたが、やはり一番きつかったのは上司の叱責でした。

同じような体験はおそらく日本中の多くの方がされているのだと思いますし、一概に、上司の叱責が悪いといっているものではありません。

ただ、もし私があの時期に、中立的に話を聞いてくれ、今何が起こっているのか客観的に見つめる手助けを専門家にしてもらえたなら、おそらく心の回復は早く、そして確かなものになったのではないかと思います。



人の悩みの多くは、人間関係に起因しているといわれています。肉体的にも精神的にも限界に近い状態の中で受ける、人格を傷つけるような発言というのは、本当に打ちのめされます。
職場という、シビアな場所での自分に対する否定的なメッセージは、まるで自分自身の全人格が「ダメ」と言われたように感じることが簡単に起こります。そして一番怖いのは、自分自身がそのことを信じてしまうことです。

どんなに苦しい状況でも、一番守らなければならないのが「自分の心」。
職場での問題には、法的な介入も必要なこともあると思います。
でもまず、心が悲鳴を上げそうになったら、数ある選択肢の中に、カウンセリングがあることを覚えておいていただければと思います。
posted by サトウマリコ at 12:44| Comment(0) | カウンセリング

2008年05月21日

カウンセリングルームの窓5

CIMG1248.JPG
「どんなときにカウンセリングルームを使えるか・その4」ですドコモ提供

これまでは、抽象的なお話が多かったので、もう少しイメージがわくように具体的なお話をしたいと思います。

「カウンセリングにはどんな方が来られるのですか?」という質問をよく受けます。
その度に答えに困ってしまうのが正直なところ。「どんな方」というのは、どんな悩みを持った方かということなのでしょうが、悩んでいる内容なんて、本当に人それぞれだからです。そして、一人の人の悩みがひとつとは限らないからです。

カウンセリングではなくても、世の中にはいろんな「相談窓口」がありますが、多くは、相談をする側が何の相談をするのかある程度の内容を絞って、その窓口を目指すのだと思います。
例えば、法律なら法律の専門家、税金なら税金、離婚なら離婚、仕事なら仕事、という感じです。
そして、そこには専門のスキルを持った方が待っているわけです。

カウンセリングはいわば、心の専門家ということになるのでしょうが、ひとりの人が最初は「近所の人とのつき合い方」について相談にいらしたとしても、お話をしているうちに子育ての話になったり、自分自身の性格についての悩みになったり、とお話する内容は多岐に渡ります。
彼とうまくいかない、という相談から、子供の頃からの親との関係に話が移ることもありますし、仕事のことでの相談から恋愛相談に変わることもあります。

というわけで、「どんな方」とひとくくりにするのが難しいのです。
心の問題は、一つひとつ縦割りに見ていくのではなく、一人の人間を全体として見ていくこと。東洋医学の考え方に近いかもしれません。

前置きが長くなりましたあせあせ(飛び散る汗)

要するに「具体的に書こう」と自分で言っておきながら、一回で全てを説明するのは難しいかも、と思っているのです。

ですので、少しずつということにしますね。

それから、もうひとつだけ前置きを加えさせていただくと。。

どうやって具体的に書こうかと考えましたが、いくら特定の人の例ではないといっても、これまでカウンセリングを受けられた方が、「私のことだ」と思う可能性はあります。どうしても、大まかなくくりをすれば、似ている悩みが多いからです。
なので、私自身が、これまでのことを振り返ってみて、「こんな時にカウンセリングを受けていたら役に立ってた」ということを抜き出してみようかと思います。



最初に思いつくのは、「進路について迷っている時」です。


遥か昔になりますが、高校受験の時にものすごく迷いました。
受験する学校を選ぶのに、自分の成績とか、家の事情とか、その他いろんな要素がありました。

まだ自分というものがしっかりしていなかった中学生の私は、親の意見を聞けばそのとおりの気がするし、先生の話を聞けばそうなのかな、という気がするし、兄妹や友達……人の話にいろんな影響を受けながらも、最後の最後まで迷っていました。

今思うと「自分のほんとうの気持ち」と「さまざまな条件」がマッチしていなくて、葛藤していたのだと思います。

最終的に、私が「後悔しない答え」を出せたのは、塾の先生に相談した時でした。

多分その先生は、私が本当に行きたい学校を見抜いていたのだと思います。
こんなたとえ話をしてくれました。

「もし先生に好きな人がいたとしたら、告白しないであきらめるより、自分の気持ちを伝えてからふられるほうが後悔しないと思うな。ボクサーが試合をしないであきらめるのではなく、リングにあがって勝負して負けるのと同じ。先生だったら、負けるかもしれないと思っても、リングに上がってから負けたいし、負けてもまたチャレンジするかもしれない」と。

その時の、自分の心の中の、霧がぱーっと晴れた感じは今でも鮮明に覚えています。
それで、一気に覚悟が固まったんですね。
次の日の朝、担任の先生のところへ行き、別の学校に出す寸前だった願書を書き換えてもらいました。

もともと「条件」があっていなかったので、自分の気持ちを通すことでひずみが起こる可能性はありました。そして実際にひずみが起きたのですが、自分にはそれを乗り越える覚悟ができていたから大丈夫だったのです。

今でも、あの時あの先生に相談しなかったら、自分の人生はどうなっていただろうと恐ろしくなります。
それなりに別の人生もあったでしょうが、芯のところが今の自分とは違うものになっていたのではないか、と思います。



当時はカウンセリングのカの字も知りませんでした。
たまたま、塾の先生の言葉が、私にとって進路を決める決定的なものとなったのですが、カウンセラーではなくても、その時に塾の先生がしてくれたことは、カウンセリングに共通することがあります。

1 まず、今の自分がどのような状態でいるのか、何をしようとしているのか、たとえ話をすることによって、客観的にイメージさせてくれたこと。

2 答えを押しつけるのではなく、選択する自由をゆだねてくれたこと。同時に自分で選択する、ということで、自分で自分の人生に責任をとる、腹をくくるという効果があったこと。

3 そうはいっても、どうしても、先生の言葉には先生の価値観が滲み出ます。その価値観が、自分にとって尊敬できるものであったこと。



カウンセリングでなくても、人生の岐路に立ったとき、すばらしい人や言葉に出会うことによって、自分自身の迷いがすっと晴れることがあります。
それも素晴らしいことです。



私がカウンセリングでめざしていることは、基本的には1と2。

自分の状況を客観的に見つめることができるようにお手伝いします。
無意識の中に埋もれさせていた、自分自身で作り出していた規制や欲求にも目を向けていきます。

その上で、「正しい答え」を求めることはしません。それからどうするかは、カウンセリングルームで答えが出ることがあってもいいし、いつかどこかで何かが変わることがあってもいいと思います。



「進路」の例を出しましたが、考えてみると、私たちは日々多くの選択肢を持ちながら生きていますね。
何かに迷った時、人の意見に左右されずに落ち着いて自分の気持ちを見つめ直したい、という時にカウンセリングはおすすめです。

最後になりますが、上に書いた3についてです。
相談相手が、カウンセリングの技術だけを持っていればいいか、というとそうではありませんね。
技術云々ではなく、「初めて会った人でも『この人なら』話せる」という部分が大きいのではないでしょうか。

おそらく終わることがない修行だと思いますが、カウンセラーである前に、自分自身として、心して精神的な鍛錬を積んでいこうと思っています。















posted by サトウマリコ at 12:09| Comment(0) | カウンセリング

2008年04月08日

カウンセリングルームの窓4

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「どんな時にカウンセリングルームを使えるか・その3」ですドコモポイント

今日ご紹介するのは「ステップアップしたい時」。

日常生活は普通に送れているけれど、「もっと○○になりたい」と思うことってありませんか?
例えば、もっと明るい性格になりたい、とか、人づきあいがうまくなりたい、とか、勉強やスポーツをする時にメンタル面を鍛えたい、仕事の苦手分野を克服したい、などです。

こういう時にもカウンセリング?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。

そもそもカウンセリングの意味はというと、「言語的および非言語的コミュニケーションを通して、健常者の行動変容を試みる人間関係である」(「カウンセリング辞典」(誠信書房)より)とあります。

また背景となる臨床心理学については、病的な心の状態を対象とする場合もありますが、精神医学とは違って、たとえば夫婦や親子の不和、職場や学校などへの不適応、と用いられる場所はとても広い範囲となっています。

そうすると、人の心を扱う場合に、何が問題かというのはその人の捕らえ方に拠るところも大きいわけです。
他人から見れば、問題ではなくても、本人にしてみれば大問題ということもあります。

私たちカウンセラーが使っている問題を解きほぐしていく技術というのは、もちろん、一見日常生活には支障がないように見える「もっとこうなれたらいいのに」という願望を実現するためにも役立てられる、というわけです。


それでは、例えば「もっと美しくなりたい」と思った時、人はどうするでしょう?
まずは鏡に映った自分をよく観察するところから始めるのではないでしょうか。そして、「お肌をもっとつるつるにしたいな」「スタイルをもっと良くすればあの服が似合うな」「髪を伸ばしたほうが綺麗に見えるかも」などと、ポイントを絞っていくと思います。

心の場合も同じなのです。最初にすることは「自分の問題は何か焦点を絞ること」。
それから、目標を描き、そこに到達するための行動を考えます。

ところが、心を映す鏡って現実にはないのですね。自分の癖や問題を知るのは案外難しいものです。周りの人はなんとなくわかっていても、そうそう直接伝えるものでもないですしね。
そこでお手伝いできるのが、カウンセリングというわけです。

まず一歩は、自分に向き合う決心をすること。
自分に向き合うというのは、楽ではない場合が多いのです。
でも、そこを乗り越えて新しい自分に出会えるのだと思います。
その決心がついたら、カウンセラーに会いに来てください。
カウンセラーが鏡の役割をしながら、サポートさせていただきます。



新年度の講座がスタートしますかわいい
第1回ワークショップは「4月11日(金)」。残席わずかです。
コミュニケーションスキル2級講座1回目は「4月23日(水)」。残席まだありますドコモ提供
どちらも4月10日(木)が締め切りです。
気になっていた方はお忘れなくご連絡くださいドコモ提供
posted by サトウマリコ at 22:35| Comment(0) | カウンセリング

2008年03月26日

カウンセリングルームの窓3

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それでは、「どんな時にカウンセリングルームを使えるか・その2」をお話したいと思います。

今日ご紹介するのは、「気持ちがモヤモヤした時」です。
つまり、悩みがなんなのか、と訊かれてもはっきり答えられないような時ですね。

酷く何かがつらいのかというと、そこまでではない。
どうにかすれば解決する問題なのかといわれても、過ぎたことだし(あるいは先のことだし)、どうにもならない。

でも何かがすっきりしない。

と、例えばこのような時ですドコモ提供

おそらく、そんな時は、「たいしたことはない」とやせ我慢しているか、自分のつらさを見ないふりをしているか、何かに意地をはっている時かもしれませんね。

あるいは、自分の本当の気持ちを言ってもいい場所がなかったから、気持ちを自分の中に押し込めてしまう癖がついてしまっているのかもしれません。

でも、押し込めた気持ちは消えてなくなるわけではありません。
いつか必ず限界がきてあふれ出してしまいます。

そうなる前に、そして押し込めた気持ちを見失う前に、言葉にして確かめていくことが大事なのです。

自分の気持ちをありのままに語ることができる場所、そのひとつがカウンセリングルームだと思ってください。


ごくたまに雑誌や本などで、「カウンセラーは話を聴いてくれるだけで何もしてくれない」とカウンセリングに対して失望したような話を見かけることがあります。

私自身はどうかと問われたら、何もしないわけではありません。
時には、クライエントの方と一緒にあれこれ考えたり、有効だと思われる心理療法を施したりします。

でもそれは、カウンセリング全体の段階でいうと、後半部分か、本当に最終段階です。

まずは、じっくりとお話を伺います。
普通の友達との会話と違うのは、カウンセラーとしての聴き方をすることです。
本当はどんな気持ちだったか、自分は何をしたいのか、何を必要としているのか……。クライエントの方がお話していくうちに自然にわかっていくような聴き方です。

今現在も、特に悩みがなくてもお越しいただけるようにと「メンタルセラピーコース」を設けていますが、それはここに書いたような目的の方においでいただきたいという趣旨なのです。

でも、コースは特に決めなくてよいので、とにかく「モヤモヤした時」はカウンセリングがお役に立つことを、心に留めていただくと嬉しいですドコモポイント


posted by サトウマリコ at 22:26| Comment(0) | カウンセリング

2008年03月21日

カウンセリングルームの窓2

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今日は、どんな時にカウンセリングがお役にたつか、具体的なお話をしたいと思います。
まずは「症状や悩みの改善」からスタートしますね。

私は、カウンセリングを受ける時に不安があれば、まず事前にお問い合わせいただき、その不安を解消していただきたいと思っていますドコモ提供
ですので、「お問い合わせ」大歓迎ぴかぴか(新しい)

この頃その問い合わせが増えてきています。

大きくは2種類あって、ひとつが「こういう症状にカウンセリングは有効ですか?」という内容です。
もうひとつは「こんなことでカウンセリングを受けてもいいのでしょうか」というもの。

ひとつめのほうの質問は、「症状」として一般的に名前がつけられるようなものをお持ちの方からなんですね。

ほとんどの場合、その「身体」の症状には「心」のことが関係しているとお見受けしますので、カウンセリングがお役に立つと思います、とお返事します。

一方、ふたつめの「こんなこと」というのは、症状自体をなんとかしたい、というのではなく、悩みそのものを指しています。
例えば「職場の上司のことで悩んでいる」「夫(妻)との関係がよくない」「娘(息子)のことが心配」「結婚のことで悩んでいる」「浮気をされた(した)」「母親との折合いがよくない」……などです。

決して軽い悩みではないのに、「こんなこと」と表現するのは、「症状を治す」のがカウンセリグというイメージがあるからかもしれません。

細かい事情も汲みながら個別にお返事差し上げていますが、私自身「そういう時こそぜひカウンセリングをご利用いただきたい」と思っています。

実は、どちらの質問をされた方も、カウンセリングの内容自体はあまり変わりません。
最初の入り口はそれぞれ違いますが、深いところでは繋がっているからです。
深いところというのは、普段はあまり意識していないこと、ということです。無意識の部分で何かがひっかかったり、すっきりしなかったり、ということが起きているようです。

そんな時、自分ひとりで悶々と考えることと、誰かに聴いてもらいながら自分の気持ちを言葉にして出すことには、思いのほか大きな違いがあります。

つまっていた気持ちを外に出しいただき、忘れていたパワーを引き出す。そういったことが私たちカウンセラーの仕事のひとつなのです。



何をするにしてもスピード感が増した社会になってきて、さまざまなストレスが人から人へと波のように伝わる時代になりました。どこかに吐き出そうにも皆がそれぞれ忙しくしているようで、話す相手を見つけられないことも多いようです。

そんな時、プライバシーを堅く守り、また時間や料金をきちんとお約束して受けられるカウンセリングという場は、ある意味とても貴重なもののように思います。

長い悩みや苦しみの時間を断ち切って、変化を起こすきっかけを掴みたいと思っている方は、ぜひカウンセリングを試してみてください。

次回は、また別の「カウンセリングでできること」をお話したいと思います。
posted by サトウマリコ at 13:41| Comment(0) | カウンセリング

2008年03月14日

カウンセリングルームの窓1

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新しいカテゴリを作りましたドコモポイント
まだまだ一般的になっていない、「カウンセリング」や「カウンセリングルーム」のことをちょっとずつお話しようと思います。

とはいっても、一般的な知識は書店に行くと沢山本が出ていますし、カウンセリングの雰囲気もルームによって違いますので、ここでは、セラフィのカウンセリングはこんな感じです、という温度のようなものを感じていただけたらと思っています。


今日は、どんな時にカウンセリングを利用できるかというお話です。

実はとても幅広いのです。
何か症状や悩みがある時はもちろんですし、カウンセラーの持っている技法はコーチングやメンタルトレーニングの要素もあるので、「もっと○○ができるようになりたい」という目標を達成するお手伝いもできるのです。

抽象的ですが、メンタル面がマイナスになっているのをゼロに持っていこう、というのが症状の改善だとすると、ゼロの人がプラスになろうというのがコーチングやメンタルトレーニングだと捉えています。

一人の人が、人生のうちどこかの時点でマイナスを経験することがあるでしょうし、もっとプラスになりたい、という時もあるわけですので、マイナスでいることに引け目を感じる必要は全くありません。

ですので、一つの悩みだけじゃなくても、必要な時にカウンセリングというものをさっと利用していただけたらいいな、と思うんですね。

通常はマイナスをゼロにして、カウンセリングを終結する、というパターンが多いのかもしれませんが、セラフィでは、一度お越しいただいた方は、一旦終結しても、例えば1年後、2年後とかに「どうしよう、困ったな。あ、あの時のカウンセラーに相談してみようかな」と思い出して利用していただける場所でありたいと思っています。
自分のことを知ってくれているマッサージ師さんみたいな感覚ですね。

そうはいっても、「カウンセリング」ってまだまだ軽い気持ちでは行けるものではないですよね。

こんな時に、という具体的なお話を次回書きたいと思います晴れ

posted by サトウマリコ at 10:52| Comment(0) | カウンセリング