岩村暢子著 2010年2月20日 株式会社新潮社発行
仕事柄、心の不調と体の不調についての繋がりについてよく考えたり調べたりします。
また、心の不調について考えるとき、その方の「考え方」や固有の「経験」について主に心を配ります。
心の不調については、もうひとつの観点も重視しています。
それは、「食生活」です。
体の病気もそうですが、心の状態も実は食べ物と繋がっているという考え方があります。
自分が思春期だったころは、「イライラしやすい=カルシウム不足」などと言われると、そんな単純なものではない、と思ったものでした。
確かに要因はひとつではないと思いますが、今は、「セロトニン」や「ドーパミン」など、脳内の神経伝達物質が、気分の落ち込みや状態を左右する、という説がある程度浸透しています。
出来事によって、そういった物質のコントロールがうまくできない状態に陥ったのか、あるいは逆にコントロールがうまくできないから、遭遇した出来事に適応できないのか、つまり卵が先かひよこが先かまではわかりません。
ただ、一度そうなったからには、食物を摂ることによってそれらの物質が体内で作られる、ということに目を向ける必要がある、と考えます。
という理由から、栄養と気分、免疫などとの関わりについて関心が高く、一般書になりますが、いろいろな本を手にとってきました。
つい先日も、胃や腸のしくみと食生活についての本を読んだばかりでした。(あらためて、野菜をもっととらなければ、などと思ったりしました)
機会があり、そのすぐ後に読んだのが、タイトルの本です。
そのギャップが衝撃でした。
今まで、「このような食生活をすればよい」という理想を示唆する本ばかり読んできたわけですが、気がついてみると、普段「皆さん」がどんな食事をしているか、という本を手にする機会はなかったわけです。
かいつまんでこの本の中に出てくる「驚愕な」食卓を紹介すると…。
・一週間野菜がほとんどでてこない食卓
・スナック菓子やケーキを皿に持った朝食
・ご主人がいる時と不在の時に大きな違いのあるメニュー(定食のような食卓とカップラーメンとか)
・子供はコンビニで自由に選ばせたもの、母親はビールとつまみの昼食
・素うどんや素パスタなど具のない麺類
・各自の皿に取り分けることなく、魚ですら、一尾を家族全員でつつきあうスタイル
・一つの食卓を家族全員が時間差で使うシステム
・パソコンや携帯、その他のもので溢れ、食器を並べるスペースがちょっとしかないテーブル
などです。
これらは、写真つきで紹介されています。
また、この本に載せるために行っている(継続している)調査では、まず事前アンケートをとり、子供を持つ世帯の主婦に、食事づくりで気をつけていることなど細かく訊いています。
さらに、調査は一週間続き(前半と後半で差が顕著にあらわれるため、この設定にしているそうです)、終わった後に、事前調査とのギャップについて面接調査により訊ねています。
その言葉が、また衝撃を受けます。
例えば、「野菜を沢山とるように配慮している」主婦の食卓に、1週間ほとんど野菜がのらなかったことがわかり、それを指摘すると「栄養指導で、一週間で帳尻を合わせればいいと聞いたから、一週間に1度は出すようにしている。この週はたまたまのらなかっただけ」という答えが「あっけらかん」と戻ってくるようです。
それに類似したエピソードがてんこもり、の本でした。
この本の書評で、「昭和40年代以降に生まれた人は、料理をしない」といった論調で批判している方もいらっしゃいます。
確かにそうかもしれません。
私にも当てはまる部分が全くないとはいえません。
少なくとも、お出汁を最初からとることはしていません。
あとがきを読むと、この調査は「主婦」を対象としているが、この本で語られているさまざまな問題が主婦や女性にだけに起因すると考えているのではなく、主婦に焦点を当てることで問題が見えやすい、というねらいがあることが紹介されています。
写っているものに目を奪われず、その奥にある社会背景へと目を向けてほしい、と。
非常に考えさせられました。
中流世帯を調査したということですが、何割くらいがこのような食卓なのか?線引きが難しいようで、そのへんの数字は書かれていません。ですが、決して極端な例だけを引いたわけではないということです。
この本によると、主婦は、忙しく、疲れているそうです。「そんなこと(食事づくり)をしている暇はない」とも思っているようです。
それと、ご主人もそのことに異をとなえていない、という家庭が多くみられるようです。
私たちは、昔のような「食卓」を忘れてしまうくらい、一体何に、夢中になり、時間を奪われているのでしょうか。
「ネット」「子供の習い事」「その他のこと」……?
便利で早くて安いことを求め、ニーズに応えて産業が発達し、思わずそれを手にとってしまう。
食卓の変化は、個人の問題というよりも、そういう社会に住んでいれば当然のことかもしれません。
先日、用事と用事の合間に、ショッピングモールへ行きました。
駐車場にはあふれるほどの車。結構混んでいます。
軽い昼食をとるため、ファーストフードの店に囲まれたフードコートへ行くと、人でごった返していました。
時間帯は昼を過ぎていましたが、それでも他の店よりも、フードコートのほうが人が多いように感じました。
この本のことを思い出しながら、私も、目の前で20秒ほどで作られたうどんをすすったのでした。
社会規模の現象を総括するのは難しいのですが、まず手始めに私がしたことは、毎日の自分達の食卓をカメラに収めること。何かが見えてくるかもしれません。