2012年09月02日

コトコト煮る

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先日、家族の記念日があり、久しぶりに「煮込み」ました。
少し疲れた体にムチ打って……その日ばかりは丁寧に時間をかけて、家族の好きなカレーを煮込み、たまたま知人に頂いた生のバジルの葉をすり鉢ですって、トマトとモッツァレラチーズにトッピングしてサラダにしました。
自分でいうのもなんですが、まあまあ、満足できる味でした。
ほんの少しの違いなのですが、10年前の自分には、多分その味は出せなかったのではないかと思います。


私の料理のルーツはもちろん母で、母自身料理は今でも日々丁寧にしているほうだと思います。

子供の頃から、よく台所の脇に立たされて、細々としたこと(ゴミをすてるとか、材料を持ってくる、とか)をしながら「見て覚える」方式で育ちました。

そして一人暮らしをするようになり、初めて自分だけの台所を持った時、私は母直伝の料理をしたり、友人と外食した時に「美味しいなあ」と思ったものをまねてみたりしたものです。

長い間、気づかなかったことですが、そんな母流・自分流の料理の仕方には、ちょっとしたクセがありました。
それは、なるべく「速く」作ることです。
テキパキと材料を刻んで洗って、鍋に入れ、煮込む間に、洗い物をして……修羅場のようなスピードの料理姿は、正直、人には見せられないと思うほどでした。


弱火で煮込むことで、料理の味が変わることを知ったのは、恥ずかしながら結婚してからです。
夫も料理ができる人なので、時々私と交代してくれることがありました。

おそらくじゃまされるのは嫌だろうな、と思い、お互いの料理の仕方には口を出さなかったのですが、お味噌汁を弱火で煮ている様子をちらっと見て、私は不思議に思ったのです。

強火とはいわないけれど、もう少し火力を強めて、素材も小さく切った方が速くできます。
不思議に思いながらも、そのことを口には出しませんでした。理由がわからないまま、とりあえず相手のやり方を尊重しよう、と思っただけでした。


家事と仕事を両立していた母も、仕事で疲れ少しでも手早く料理を済ませたかった私も、普段の料理はとにかくいかに最短コースで作れるか、を大事にしていたと思います。

そのせいか、私は「料理に時間をかける」ことが大分億劫になっていたようです。
1時間かけるのが、やっとでした……。

やがて夫が何かを煮込む様子を何度も見る度に、少しずつ理由がわかってきました。
「なぜこんなに大きくじゃがいもを切るの?」
「なぜ休日の貴重な時間を割いて、時間をかけて弱火で煮るの?」
直接的に訊いたわけではありませんが、「そうするほうが美味しくなる」ことはわかってきました。
そして、直に私もそのやり方をするようになっていったのです。
おそらく夫は夫で、義母の料理をする姿を何気なく見ていたのだろうと思います。


今も忙しい時は、「手作り」することだけがやっと、という日もありますが、こうして時間をかけてコトコト煮込むと不思議と気持ちが落ち着いてくるのですね。料理も美味しいですし。そんなことを、あらためて感じました。


仕事や、他のいろんなことも、目標を最短距離で達成しようとすることは、一見やる気に溢れてよいことのように感じる時もありますが、一つひとつの素材を大切に、ゆっくり時間をかけて、細くても絶やさずに気持ちを持ち続けることで、深い味わいが出せる、そんなこともあるかもしれないと思います。


仕事に忙しかった母も、今は退職してゆったりとした時間が流れているようです。たまに遊びに行くと出してくれる料理の味も心なしか変わったようです。特にお味噌汁が違うなあ、と思います。
優しくなったような……単に塩分を控えめにしているのかもしれないですが。
posted by サトウマリコ at 11:22| Comment(0) | コラム
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