コラムの最初のほうで、「幸せの定義づけはしない」というようなことを書きました。
タイトルと矛盾するようですが、それぞれの人にとっての「幸せの定義」はあると思うのです。
でも、何が幸せなのかは私が決めることではない、だからこそ、いろんな「幸せ」について考えてみたい、と思ったのです。
そして、このコラムを書いている間に、ちらほらと、いろんな人の「幸せ」の話を聞くことができました。
コラムを読んでくださって、それを意識して話してくれた方もいれば、特にコラムとは関係なく幸せを感じた瞬間について話してくれた方もいます。
具体的な内容は書きませんが、いろんな人のお話を聞いて私が感じたことは、幸せにはいろんな種類があるんだなあ、ということです。
例えば、毎日、ふとした瞬間に感じる「一瞬の幸せ」があるとすれば、長い間の「幸せな時代」とでもいうようなものもあります。
それから、時間の軸を意識してみると、「過去の幸せの記憶」、「未来に描く幸せの夢」、そんなことを<今>意識することで、感じられる幸せがあります。
そしてまた、「一人で感じることのできる幸せ」や「一人でしか感じることができない幸せ」があれば、「自分以外の存在があって感じられる幸せ」もあります。
「自分が幸せなことに気づいている」場合があれば、自分では意識していないけれど、他人から見ると充分幸せ、ということもあると思います。
これだけ、例を挙げただけでも、自分では忘れていた<幸せ>がいくつか思い浮かんできたりしないでしょうか。
時々、カウンセリングでの会話で、「そして、幸せを感じる時間を少しずつ増やしていきましょう」とお話させていただくことがあります。
自分にも当てはまるのですが、嫌なこと、否定的な考えに捉われている時間が長いほど、幸せを感じる、あるいは心地よさを感じる時間は必然的に少なくなるわけです。
人間には、習慣づけというものがあるので、こういったことも毎日の癖になってくると、どんどん「幸せな感じ」から遠ざかっていくような気がします。
探せば「幸せな瞬間」はあるのだろうけれど、毎日何かしら、嫌なことのほうがインパクトがあるかもしれないですね。
その嫌なことを感じている時間を減らすにはどうしたらよいでしょうか。
これもまた、人それぞれ答えは違うはずなので、カウンセリングというものは、それを考えるための時間である、ということにもなりそうです。
私も、私自身の幸せな時間を増やせるように、模索し続けています。