2012年02月05日

幸せの定義・7

〜「箱」の中にある幸せ〜

先日、私的な祝い事があり、私はワインの栓を開けようとしていました。
ワインは好きで、これまでも何度も同じ事をしてきた筈なのに、その時に限って、ふと子供の頃の思い出が甦りました。

小学校の低学年か中学年だったと思いますが、学校の授業で使うために必ず持ってくるように言われたものがあったのです。
それは、「マヨネーズかケチャップの入れ物」と「コルク」でした。

マヨネーズやケチャップはともかく、コルクなんて、子供には自分で手に入れるのは難しく、親に頼むしかありません。うちではワインを飲む習慣がなかったので、早めに予告されたものの、しばらくの間、悩みの種となりました。

結局親が用意してくれたのか、友達が余分にあるというのを譲り受けたのか、記憶が定かではありませんが、何とか準備したような気がします。
ただ、子供心に「コルク」というものが複雑な意味をもって心に刻みつけられたような気がします。

そのことを、久しぶりに思い出したのです。この「コルク」で、悩んだなあ、と。


それから、どうして先生は全員にコルクなんかを持ってくるように言ったのだろう、と考えました。
思い出すと、他にも何に使ったのかは覚えていませんが、缶詰の空き缶とか、割り箸とか、結構いろいろと変わった「持ち物」があったように思います。

でも、コルクに関しては、大人の今考えても、困る子供が多かったのではないかと思います。
とりたててワインブームも到来していなかったし、ワインを飲む習慣、お酒を飲む習慣がない家庭だって多いはずです。
それでもコルクを持ってこいというのは、ちょっと家庭に負担をかけてないかな、と今になって思います。
(子供の頃は、ただ困った困ったと思うばかりでした)

そこまで考えて、また別の考えが浮かびました。
受け取りようによっては、こんなことを言う先生は、家庭の事情に想像を巡らせてくれていない、と責めたくもなりますが、もしかすると、この課題があったために、わざわざワインを購入した親も多かったかもしれません。

そして、普段飲まないワインを開けて、夫婦でゆっくり語りあったりしたなら、思いがけず、素敵な時間のプレゼントになったかもしれません。
そんな家庭もあったと想像したら、なんだか幸せな風景が広がる気がしてきました。

本当のところは、わからないのですが……。



なんで? どうして? と、自分の置かれた状況を不満に思うことは日々起こりうることです。
職場や学校、家庭など所属していることによって、強制的に何かをしなければならないことも多いと思います。

そんな時、嫌だなあ、とか自由になれたらどんなに楽かなあ、と私は思うことも多いのですが、逆に、自分の意志とは関係なく強制されるからこそ、得られることも案外多いのではないかと思います。

決められた箱に閉じ込められていると思うと、窮屈な気分になるかもしれませんが、自由だったなら自分では絶対しない・できないことをすることで、ステップアップできるチャンスも隠れています。

時には、その「箱」を利用して、自分の考え方を見直したり、試したり、新しい力をつけることも幸せに近づく方法のひとつかもしれない、と思います。

例えば、人間関係もそのひとつ。一人ひとり個性の違う人の集まりの中、<自分が>どうすれば心地よく過ごすことができるのか、模索するチャンスでもあります。

ワインの栓を開け、香りを確かめながらそんなことを思いました。


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posted by サトウマリコ at 00:45| Comment(0) | コラム
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