私が「幸せ」と定義したいことのひとつに、人との出会いがあります。
モノとの出会い、出来事との出会い、言うなれば人生は毎日が何かとの出会いの連続です。
そんな中、人との出会いは、最も人の感情に訴えかけるもののひとつと言えるのではないでしょうか。
私はよく本からいろいろな情報を得ます。
本という形態が昔から好きでした。
本は<物>だけれど、活字を通して、時間と距離を超えて、著者との出会いがそこにあるように感じます。
極端な話、古文書を解読すれば、何百年も前の人が考えたことがわかるわけで、非常に興味深いことだと思います。
書店や図書館、今だとインターネットで検索すると自分が読みたい本と出会えるわけですが、考えてみると、何十万冊という書物の中から一冊を選び出したというのは、もちろん自分の意志もあるわけですが、偶然が作用するある意味運命的な出会いともいえるのではないかと思います。
では、人との出会いはどうでしょうか。
自分が生まれた家、育った家の家族は、自分では選ばなかったかもしれません。
普通に考えれば、選ぶものではありません。でも、どんな親であろうと、最初に親という自分以外の人間と出会うわけです。
家から出て、学校や社会に出ると、数え切れない他人がいます。
その中で、言葉を交わす人、時々会う人、深く付き合う人など、自分にとって関わりのある人との出会いがあります。
家族にしろ他人にしろ、相手との相性があり、様々な感情を持つことでしょう。その感情もひとつではなかったり、時間が経つにつれて変化することもあります。
沢山の偶然、若しくは、必然性のある出会いが、ひとりの人間に訪れます。
もし、あの時、ああしなかったら……。
もし、あの時、この道を選んでいなかったら……。
この経験があったから、この経験に繋がって……。
いろんな道を辿って、そしてその先に、自分の運命に深く関わる<出会い>が人には何度か訪れるのではないかと思います。
相手との出会いをどう受け取るかは、その人の生き方、考え方次第、といえることも多くあると思います。
でも、いろいろな理屈を遥かに超えて、「この人に会えて本当によかった」と思える、明らかに特別のものがあったら、私はそれを「幸せ」だと定義したいと思います。
それは、一緒に過ごした時間の長さや、二人の関係性を規定する必要はなく、ただ自分がそう思えればよいことなのではないかと思います。