私がまだ社会人になって間もない頃、少しくだけた席で、10歳近く年上の男性が言いました。
「幸せになりなさいよ」
私は即座に聞き返していました。
「幸せってどういうことですか?」
その人は、少しとまどったように、その人の考える「幸せの定義」を述べてくれました。
曰く「結婚して、旦那がちゃんとお金を入れて、何不自由なく安心して暮らせることが幸せなんじゃないか?」
それ以上、話は続かなかったように思いますが、心の中で、私は確信を持ちました。
それは、私にとっての「幸せ」ではない、と。
あくまで、私にとって、の話ですが、若く好奇心に満ち溢れていたその頃の私には、「自分自身の力でやってみたい」感覚が強く、誰かの力で「安心」を得て暮らすことには、全く魅力を感じなかったように思います。
そして、同じレベルで考えるとすれば、自分にとっての幸せは、生活の苦楽は別として、志の合う人と、目標に向って一緒に進むこと……そんなイメージだったと思います。
あるいは、心から夢中になれるもの、生涯を通して力を注げるものに出会うことも幸せのひとつと考えていました。
人によって、幸せの定義は違います。
早くから「結婚して家庭を持って子供を産む」という意志を持っている人は、その方向に向かって行動し、実際そうなっているケースが多いと何かの本に書いてあった記憶があります。確率で考えると当然かもしれません。
そして、私の場合は、また違った方向を目指していたので、結果的には、昔描いていた通りの生活に近い状態になれています。
ですので、幸せかといわれると今私は幸せなのです。
もちろん、もっと先の幸せもあって、それもやはりもっと目標に近づくとか、もっと強く好きなものを意識できるようになる、といったイメージです。
こういう形での「幸せの定義」は、その人の生き方の指針、価値観のようなもの、と言えるかもしれません。
もし、人に訊ねたら、人の数だけいろいろな答えが出てくるかもしれないし、大まかな方向性に分かれるのかもしれません。
そして、もっと小刻みにできる「幸せの定義」もあるのではないか、と思います。
人生のずっと先にあるような幸せではなく、<今>目の前にあるような幸せです。
遠くの幸せを考えることは、長いスパンで自分の道を生きる拠りどころとなるでしょうし、目の前の幸せに気づくことは、日々の心の栄養のようなものではないかと思います。
「幸せ」という言葉は、私にとって、何か正面から使うのが気恥ずかしいような言葉でもあるのですが、こうして考え始めると、このキーワードでいろいろなことが発見できそうな気がしています。