「幸せ」について何を書こう、と思いを巡らせながら過ごしていたら、一日気分がよいのです。
たまたまかもしれませんが、嫌なことを思い浮かべるよりは、少しでも「幸せ」な記憶を引っ張り出そうとしているのだから、不思議なことではないのかもしれません。
例えば、「私は楽しいことをしている時が幸せ!」と言う人と、「誰かの役に立っていると思える時が幸せ」と言う人がいたとして、その二人に対してどのようなイメージを持つでしょうか。
「楽しいこと……」の人は気楽な感じ、「人の役に……」の人は真面目な感じ、そんなふうに思う人がいるかもしれません。
また、どちらが自分の感覚に近いかによって、親しみを感じたり、反発を覚えるということもあるかもしれません。
けれど、考えてみると、この二つの言葉だけで、その<人となり>を知るのは実は難しいことだと思います。
こうして、文章を読んで感じることは、おそらく読んでいる人自身が持つ経験や価値観を多く反映した想像に基づいているのではないでしょうか。
楽しいことを意識して追い求めることで、仲間が増え、多くの人に何かを与えることができるかもしれません。逆に、自分だけの楽しみを追求し、自己中心になる可能性もあります。
人の役に立とうと考えるだけで実際には行動が狭まってしまうこともあるでしょうし、逆に、本気で取り組んで、本当に人の役に立っている人もいると思います。
言葉と実像の間には距離があります。
そして、実像すら、ひとくくりにすることは難しい、あいまいなものではないかと思うのです。
見る人によって、状況によって、記憶の長さによって……随分と違うような気がします。
これから時々、「幸せ」をテーマにいろいろな角度から考えてみたいと思っています。
多くは私という個人の見方や記憶を頼りに、また時には誰かの話を聞いてみたいと思っています。
今日の私の幸せは、「読んでくださる人を思い浮かべながら、文章を書くことの幸せ」を感じられることです。