「<つながり>と<孤独>」
最近、クモの巣らしいクモの巣を見てから、連想したことは「ネットワーク」という言葉でした。
人は、誰かと繋がりながら生きているなあ、とか。
何かをしようとしたら、自分ひとりではなく、心をひとつにできる相手を見つけて網目のように組織をつくるといいのかなあ、とか、そんなイメージです。
同時に、目に入ったのは、クモの姿。
クモの巣は点と線のつながりに見えるけれど、そこにいるクモは孤独でした。
たった一匹で網を張り、孤独に獲物を待って生きているように見えます。
繁殖のためにはそれなりのしくみはあるのでしょうが、普段見ているクモは群れていません。
少し考え直しました。
「心をひとつに」することは可能なのでしょうか。
少なくとも簡単にはできることではないように思います。
家族や職場や仲間など、何かに所属していることは多いかもしれませんが、心は「ひとつ」というよりも、「ゆるやかに」繋がっているような気がします。
あまり相手に求めすぎると、失望することさえあります。
子育てで悩んでいる「親」がいます。
子育て以外のことで悩んでいる「親」もいます。
「子ども」は、「親」というものは自分にとって絶対的に味方であってほしい、自分を愛するべきだ、と思っていたりします。
親子の形にはいろいろあるでしょうが、その親子ですら、相手の心は自分の理想通りには在りません。
そのことに気づくことは、寂しいことでもあるけれど、本当に自分の足で立つ時期に来ているのかもしれません。
他人とは尚更です。
心が重なることは、嬉しいことかもしれませんが、求めすぎるとつらくなることがあります。
そもそも人が孤独であるということに気づくことは、人とのつながりを上手に作っていくための大切な通過点なのかもしれません。
さて、何週間もの間、クモの巣を眺めながら、私は心の中で沢山の対話をしてしまいました。
今日のクモは……車を降りて確かめると、糸の一本も見当たりませんでした。
また、そのうちひょっこり顔を出すのでしょうか。
私の心の中での呟きも、またいつか形を変えて書いていきたいと思います。<了>
2011年11月10日
クモの巣・9
posted by サトウマリコ at 21:30| Comment(0)
| コラム
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