2011年10月25日

クモの巣・6


「そこにあるのに見えないもの」

今日は珍しく車に乗る時に、クモの巣の存在に気づきました。
小降りの雨の中、水滴が着いてキラキラと光っていたのです。

最初見た時には「あれ、ちょっと巣を立派にしたのかな?」と思いました。
思っていたよりもちゃんとハンモックみたいな形をしていたからです。
透明な粒々が綺麗で、これはいいかも、と試しに写真を撮ってみました。

それなりのカメラで、きちんとした撮り方をすれば写るのだと思いますが、私のカメラで撮った画面は、まるでクモの巣など最初からないようにしか写りませんでした。


車を運転しつつ、ぼんやりと考えました。

もしかすると、クモの巣が「ちゃんとしていない」と思っていたのは、そんなふうに見えていただけで、最初から、今日見たような形だったのかもしれません。
透明だから見えにくく、水滴が着いて、初めてはっきりと姿を現した…そういうことだった可能性もあります。


「そこにあったのに、見えていなかったモノ。それが見えた瞬間」

そんな感覚がどこかであったような気がしました。


例えば、今、目の前にある看板。普段は見えていても意識はしていないから、存在に気づいていませんでした。
人は、見たいものだけを見て、見たくないものは見ない。そんな真理はあると思います。
でも、その感覚とは少し違うのです。


立体視できる3Dアートが浮き上がって見えたとき。
囲碁の対戦中、終盤に差し掛かって、どちらかの陣地がふいに現れたとき。
ほっとして初めて自分の本当の感情が出てきたとき。
大人になって、若かった頃には見えなかったことに気づいたとき。

あれこれ考えてみましたが、どれも少し疑問符がつく感じがしました。


そして、今、コラムを書く段になって、今更のように気がつきました。
「私は、クモの巣を毎日見ながら、実はちゃんと見ていなかったんだなあ」と思いかけていましたが、そもそもクモの巣は透明に近いのだし、できるだけ他の生き物には見えないほうが、本来の役割を果たしやすいはず。だから、見えなくて正解なのです。
そういう巣を、このクモが作っていたのだとすれば。


私の感情は、以前よりはっきりとしてきました。モヤモヤしていたものが何だったのか、少しずつ姿を現してきたような気がします。
モヤモヤには大抵の場合、理由があるんだろうな、と今日は思えます。そして、はっきり見えないということにも、守っている何かがある、そんな理由があるのかもしれません。
posted by サトウマリコ at 20:28| Comment(0) | コラム
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