2011年04月12日

震災 心のケア4 「何度でもお互いの存在を認め合う」

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もし、家族と一緒に住んでいて、朝起きた時に、「おはよう」と声をかけたとします。
その時相手から、期待していた反応が返ってこなかったら、どんな気持ちになるでしょうか。

例えば、こちらを見向きもせず、「ああ……」と面倒くさそうにぼそっと呟くだけだったとしたら。

体調が悪いのかな?
機嫌が悪いのかな?
何か怒っているのかな?

そのように、心配したり、逆にこちらまで不機嫌になってしまうことがあるのではないでしょうか。

まして、例えば職場という、「挨拶」をすることが、仕事をする上で大切なマナーとされる場所で、相手から挨拶が返ってこなかったら。また、挨拶以外でも、何か自分が期待していた言葉をもらえなかったらとしたら。

程度の差はあると思いますが、それだけで、気分が滅入ったりすることがあるかもしれないですね。
逆に、ほんのちょっとした誉め言葉が、驚くほど、その日の自分の気分に影響することもあります。
言葉を交わすということは、短くて一瞬のことですが、相手とのコミュニケーションではとても大切なことです。

インターネットでのニュースからで、出典がわからなくなってしまったのですが、阪神・淡路大震災を経験された方々に、当時、どのようなことが支えになったのか、どのような言葉がうれしかったか、というインタビューをまとめた記事がありました。

その中のひとつで私がとても印象的だったものがあります。

その部分を引用します。

■今日もこんにちは〜

家が倒壊して、3カ月ほど学校などの避難所を転々としながら過ごしました。そのころまで、お金より何よりありがたかったのは、避難所の人たちとのあいさつです。

「今日もこんにちは〜。調子はどうですか?」と声をかけあっていました。ワンパターンのあいさつですが、声のニュアンスなどから日々の健康確認、安否確認も含んでいて、普通のあいさつとは違いました。

毎日、このあいさつには助けられましたねぇ。「今日もなんとか生きていかなければ」と思うことができましたから。(神戸市 K・Rさん 39歳女性 飲食店経営)



日常の時でさえ大切なあいさつが、避難生活という非日常の生活を送る上ではぐっと心に入っていくのがわかります。


例えば、このようなあいさつをすることに限らず、他にもちょっとした言葉をかける、そっと何かを贈る、わける、手を握る、なんでもよいのですが、相手に何かを伝えることは、「あなたがそこにそうしているってこと、私はちゃんと気づいていますよ、気にかけています」というメッセージになります。

このように、相手の存在を認め、そのことを相手に伝える、というのは、肉体的には空気と同じくらい、人の心に必要なものなのです。

心理学の用語では、ストローク(英語で撫でさする、という意味があります)ともいわれます。

このストロークがないと、人は、叱られる、という負のストロークですらほしがります。
ちょうど、子供がさびしいときにわざといたずらや乱暴をしたり、ぐずったりするように。

それほど大切で、それほど、効果がある<存在の認知>。

声をかけるのに、お金はかかりません。

身近な方同士、ほんのちょっとしたためらいを厭わずに、声を掛け合うことが、元気の元になるかもしれませんね。

もしかすると、(今はそっとしておいてほしい)、そんな気分の人もいるかもしれません。
その時は、伝わらないかもしれませんが、ほんの少し、相手にとって気にかからないほどにそっと、優しく、上に書いたことを実行してみてもいいかもしれません。
きっと後から、それが心の支えになることがあると思います。





<ある>中学1年生の日記

「私は最近あせっているのデス
私なんかべつにいなくてもいいそんざいなんじゃないのかな…などと。だって、私とちがって運動しんけいがよかったり、頭がよかったり美人でかわいくて自立心があってなにもしなくても…なんていうか立派な人がいて私なんかそこらにいくらでもいるようなアホで…。苦労してるわりに。」


多分、自分がそのままの自分で存在していることに、人から認められている感覚を得られていないのだと思います。
ほんの少しのきっかけで、友だちから沢山のストロークを得られたら、変わっていくのかもしれません。
また、自分にしかできない役割を持てたら、自分で自分を誇れるようになるかもしれないですね。
posted by サトウマリコ at 12:04| Comment(0) | 震災 心のケア
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