2011年04月09日

震災 心のケア3 「希望と絶望の狭間で」

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これから書くことも、前回と同じく、災害に限ってのことではなく、普段の生活の中でも言えることです。

ただ、4月7日夜に起きた、大きな余震を体験して、感じるところがありましたので、皆さんに共有していただければと思い書くことにしました。

タイトルに、「希望」と「絶望」、という言葉を書きました。
「絶望」という言葉は、本当に、全てに望みを失った状態なわけで、あまり使いたい言葉ではありません。
でも、「絶望」とはそういうことなのだと思います。
普段の生活ではもう少し別の言い回しで語られるかもしれません。

「心がポキっと折れた感じ」
「目の前が真っ暗になった」
「もう、ダメだと思った」

そんな時、注目したいのは、それまで何とか心に繋いできた希望が、絶望に変わってしまう「瞬間」があったのではないか、ということです。


誰かの言葉、何かの出来事。
そういったことを体験して、それを自分なりに<解釈>し、それを強く<信じ込む>
これは、瞬間的に心の中で起きることです。
なので、大抵の場合、「自分自身が(そのように解釈して)考えたこと(=決め付けたこと)なのだ」という自覚がありません。
そこで他の選択肢を捨ててしまうのです。

他の選択肢……それが、希望です。希望がなくなると、人の心は深い闇の中へと入りこんでいきます。


人がどのように物事を<解釈>した時に、絶望するのか。

例えばそれは、認知療法では、約10通りの「認知の歪み」として例示されています。


私が今回、余震を体験した時のことを例にしてお話したいと思います。

大きな揺れを体験し、恐怖が自分の気持ちを乱しました。
体が震えるようなショックと、そして、浮かんできた気持ち。

「また、起こるのか。これからもいつ起きるかわからない。これからの世の中がどうなっていくかわからない」
「今度大きな地震がきたら、建物が壊れていつ死んでもおかしくない」
「どうして自然は打撃を繰り返すのだろう。せっかく復興しようとしている大勢の努力が無駄になってしまう」

そして、なんだか心が沈んでいくような感じがしました。

同じく余震を体験した皆さんは、どのような考えが自然に浮かんできたでしょうか。


私と似たような考えが浮かんだとしても、それは自然な反応です。
でも、このまま自分の感じたことを、未来への正しい予想として信じる前に、考えて欲しいことがあるのです。
青字は、自動的に浮かんだ考え。上に書いた呟きや、皆さんにも起こりうる考えの中で、心が折れそうになるポイントを整理してみました。
そして、()の中は、認知療法でいう「認知の歪み」とその意味です。


1 何度も同じことが起きているのだから、これからも起きるに違いない(一般化…一度起きたことが何度も起きると信じ込むこと)

2 もう、悪い未来しか想像することができない(先読みの誤り…悪い未来を一足飛びに結論づけること)

3 努力は全て水の泡だ(全か無か思考…物事をゼロか百かで考えること)

4 自分にはとてもこの出来事に太刀打ちできる力がない。助けてくれる人だっていないだろう。(過小評価…自分や他人の本来持っている能力を小さく見積もること)


このようなことを、無意識のうちに強く信じ込んでしまったら…心が折れる、無気力になる、そうなってもおかしくないと思います。

このような考えが浮かぶのは、自然なことですし、ある程度、悪いことを予測することは、将来の自分を守ることにも繋がります。

ですが、人から「希望」を取ってしまうと、生きる気力がなくなってしまいます。

では、どうしたら「希望」が持てるのか?


悪い<信じ込み>が100パーセント真実なのか、一度立ち止まって考え直すことです。そのことにより、別の可能性=希望を見いだすことができるかもしれません。


上の1〜4に対応させて考えると、

1 何百回と同じことが起きても、その次はもう起こらないかもしれない。最悪はいつまでも続くことはないだろう。これまでの歴史を振り返っても、災害はいつか終息している。

2 今は苦しいけれど、もしかすると、こんな(よいイメージ)未来が待っているかもしれない。その時は、このつらい経験が糧になっているだろう。

3 もし、これまで立て直したことがまた壊されたとしても、そこから学んだことはあるはずだ。今度はもっと強く、災害に立ち向かうことができるだろう。

4 今はショックで何もできなような気がしているけれど、無理をすることはない。マイペースで少しずつやれることをやっていこう。どのような方法があるか、困った時は声に出して、人の助けを少しずつ借りていこう

例えば、自分の心の中で、このような「反論」をすることができるかもしれません。


何かの出来事によって強く落ち込んだ場合は、心の中で、立ち止まることなく、絶望的な考えに、「ストン」とはまり込んだ瞬間があるはずです。


カウンセリングでは、カウンセラーがその「瞬間」を手探りで探すように、クライエントさんの話を聴いていきます。まるで疼いている傷を見つけ、手当てをするように。

ただ、カウンセリングを利用しなくても、上のような知識を知っているだけで、もしくは「知識」と意識していなくても、偏った<解釈>を、ニュートラルな場所、あるいは、少しだけ楽観的な位置に持ってこられる能力があると、心はしなやかになっていきます。

そうやって、自分自身が未来に「希望」を持ち、その未来にいる自分を想像できるということが、体を動かすエネルギーにも繋がっていくのだと思います。
posted by サトウマリコ at 11:57| Comment(0) | 震災 心のケア
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