2011年03月08日

青い鳥の探し方

CIMG5787.JPG

モーリス・メーテルリンクという作家が書いた「青い鳥」という物語があります。
ストーリーは詳しく思い出せなくても、「幸せの青い鳥は実は身近なところにいた」という結末だけは、イメージできる方も多いのではないでしょうか。

ふと、この話が気になって、もう一度あらすじを調べてみました。
主人公の子供達が、青い鳥を探しにいろいろなところへ行って、青い鳥を見つけるのだけれど、時間が経つと色が変わってしまったりして、なかなか見けられません。最後に家に戻ると、飼っていたハトが実は青い鳥だったことがわかります。そして、その鳥を隣の家に住む病気の女の子に贈ります。けれど、最後に青い鳥は逃げていってしまいます。

著名人を含め、いろんな方がこの物語の意味を解釈をしているようで、幸せは「形」として手元に留まらせることができるものではないが、人間に希望や夢は必要なものだ、とか、死と生命の意味を表しているなど、ざっとネットで調べるとそんな解釈があることがわかりました。また、「青い鳥症候群」と称して、「理想の職場を求めて、職を転々とする人」について触れている文章もありました。


とりあえず、単純に「青い鳥は自分の近くにいる」ということについて、考えてみたいと思います。

「青い鳥」という言葉の表すものが、「幸せ」なのか、「生きる意味」なのか、「居心地のいい場所」なのか、「希望」なのか、判然としませんが、そういったイメージだと思います。それよりもう「青い鳥」と言ってしまったほうが、しっくりくるような気さえします。


で、その「青い鳥」は近くにいるのか?


私は、「いるかもしれないし、いないかもしれない」と思います。

このような言い回しは、カウンセリングの中でも使うことがあります。
未来のことがどうなるか? どちらともいえないからです。


例えば、「青い鳥はあなたの近くにいるはずですよ」と言われたら、問題は解決するでしょうか?

他人の目から見て、青い鳥が近くにいるように見えたとしても、本人にとって、それが青い鳥に見えなければ意味がないわけです。
だから、メーテルリンクの物語と同じように、青い鳥を探している本人が、旅に出ていろんな経験をしたうえで、物を見る目が変ったことによって、これまで近くにあったものが「青い鳥」になる可能性はあります。
でもあくまでも、その<過程>を飛び越して、他人が指摘したことによって気づけるものではない、と思うのです。

例えば、大きな陸上のトラックがあったとして、スタート地点とゴール地点が一緒だと考えるとわかりやすいと思います。
ゴールと同じ場所に立っていても、走り出す前は、そこはゴールではないのです。
トラックを一周して初めて<そこ>がゴールになるわけです。

端的にいうと、この場合、私が伝えたいことは「青い鳥は自分で探さなければ意味がない」ということ。
そして、それを伝えたい相手は、青い鳥を探している人ではなく、どちらかというと探している人の近くにいる人に対してです。
「青い鳥はあなたの近くにいるんだよ」と叫ぶだけでは、きっと探している人の目に青い鳥が映ることはないと思います。だから、その人が鳥を探しに歩きだすことを、自分の経験だけをもとにして止めたりしないでほしいな、と思うのです。


もうひとつの可能性として、青い鳥は「近くにはいない」場合がある、とも思います。
いないなら、探したっていいじゃないか、と思うのです。
思い切って、探す旅にでて、見つかる場所が、今いる位置ではなく地球の裏側の可能性だって大いにあると思います。

ここで私が伝えたいことは、「必ずしも、身近なところで青い鳥がみつかるとは限らない」ということ。
伝えたい相手は、やはり、青い鳥を探している人の身近にいる人です。「あなたの近くをよく見れば、幸せはそこにあるのよ」ということは、自分にとって正解かもしれませんが、相手にとってそうでなければ、問題は解決しません。本気で、自分の青い鳥を探し求め、旅に出ようとしている人がそこにいるなら、その旅があきらかに苦難が待ち受けていそうな旅でも、「自分の旅」を全うするまで背中を見守ってあげてもいいのではないか、と思います。

どちらの場合も、また、探す人も見守る人も、忍耐のいることかもしれません。
posted by サトウマリコ at 23:05| Comment(0) | ココロ
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。