2011年02月01日

20年前のこと

CIMG5633.JPG

ちょうど、20年前の今日、私は20歳最後の日を迎えていました。

さすがにその日のことまでは、覚えていませんが、20歳の時に出会った40歳の男性との会話をふと思い出しました。

その方は、高校の先生をしていましたが、どこか独特の雰囲気がありました。
ある日、その先生が受け持っている高校生のことについて話を聞いていました。歳が近いせいか、自分も高校生の悩みに共感しながら考え込んでしまいました。
そして、最後にその方が言った言葉が鮮明に残っています。

「こんなふうに悩んでいるのは若いうちだけだ。オレなんか今、40歳で、何にも悩みがないよ。この歳になるとね、まるで平原みたいに平らで何にもないんだよ」

私はまるで、その視線の先に本当に平原が広がっているように感じ、けれど悩みでいっぱいの自分には、本当にそんなことがあるのか、と実感のわかない話でした。

で、あっという間に、その年齢になったわけです。

果たして40代は平原でしょうか。
決して平原ではないような気がします。
でも、その人が言った意味が今なら少しわかるような気がします。

誰でも同じ、というわけではないのだと思います。
40歳から夢を追いかけてわくわくしている人も、若い頃とは違った重い悩みを抱えている人も、いろんな人がいるはずです。

多分、その方にとっての40歳が平原だったのだと思います。
あの、遠くを見つめていた目は、恐らく10代や20代の子達に向けられた、励ましと羨望と何かに対する虚しさのようなものだったように思うのです。
熱く、だけどどこか醒めたところも心にあるような。

今は交流がないので近況を知らないのですが、私がこの日を迎えたということは、その方は60歳前後のはず。

それから、私が30歳の時に知り合った40歳だった人の思い出もあります。その方たちは、50歳。

歳をとるのは早いか遅いかだけで、皆平等なこと。
私の40代はどちらかというと、わくわくというか、新しい折り返しの準備期間を過ぎて、本格的に活動をする時期だと思っています。

それにしても思うのは、人はやりたいことはすでにやっていることが多いな、ということです。

10代、20代の頃は、やりたいことを探したり焦ったりしていましたが、今カウンセラーの仕事をしていると、似たようなことが多分昔から好きだったのだな、と思います。

先ほどの話に出てきた方以外にも、多くの違う世代・違う職業・違う価値観の人と付き合い、話を聞くことが好きでした。
そして先ほどのような、ちょっとだけ人生観が滲み出るような話をできることが嬉しかったのです。


今、将来のことで悩んでいる方もいらっしゃると思います。
これからいろんな経験をして、何かを探したり得たりすることも大切だと思います。
それと同時に「もう既にやっていること」に気づくこともポイントになると思います。
きっと、「好きなことは既にやっている」場合が多いような気がするからです。

そんなことを思いながら過ぎていく40歳最後の夜です。
1歳の違いが年々大きくなっていくような気がします……。
posted by サトウマリコ at 22:18| Comment(4) | 日記
この記事へのコメント
40代へようこそ(^o^)。お誕生日おめでとうございます!

「ほぼ日」の中で水曜に更新される「山田ズーニー 大人の小論文教室。」を読んでます。
(既にご存知かもしれませんが)本もほとんど持ってます。

著書『あなたの話はなぜ「通じない」のか』」の中に、

「点より線、線よりベクトルで自分を考え、語ることの大切さ」がかかれてあって目からウロコでした。(^_^;)

「過去何をやってきて、現在何をやっていて、将来どうなりたいか。連続性の中に人はある」

通じるのもには根拠がある
1 「伝えたいものがある」(切実な動機)
2 「伝えるだけのものがある」(10年以上の経験に象徴される)
3 「伝える技術がある」(表現技術)


「10年に匹敵するものが積み上がるまでは、世の中をうらんだり、自分を嫌いになったりせず、明るい努力を積んででいけばいい。」

ベネッセに15年努めて独立したズーニーさん。フリーランスになった時の不安や経験もいっぱい書いてくれてて、こんな有名な方も陰に苦労があったんだな〜とわかります。

マリコさん、私にもちょっと共通する点がありますね。(一緒にしてゴメンナサイ(^^;))


『おとなの進路教室。』にも
「やりたいことを発見する方法」「好きを掘り下げる力」など道に迷ってる人のヒントに「なりそうなことが詰まってます。
『考えるシート』なんか「認知療法と」似てるって思いました。


この40歳の先生はまさに「四十にして惑わず」だったわけですね。

私は相変わらず惑いっぱなし(^^;)ですが、過去のことは無駄じゃなかった。
これからやりたいこともなんとなく見えてきました。

小学生でピアノ始めたこと。中高大で音楽の部活にいたこと。
文化事業団で情報誌作ったこと。学年だより、図書館報の作成。
生徒指導。

みんな今の仕事につながってます。

一年経たないないうちに、生徒が二桁になったのもホントに恵まれてます。

与えられたセカンドチャンスを生かせるよう、今の仕事を欲張らずに大切にしていきます。


マリコさんのブログ、自分のページで紹介させていただきました。
これからも楽しみに読ませていただきます。
長くなりました。では(^_^)/~



Posted by nyadame at 2011年02月02日 11:59
>nyadameさん

お祝いの言葉ありがとうございます。

可愛い、且つハマっているHNですね。思わずにっこりしました。

誕生日の話をしていて、ふと思ったのですが、このブログのデザイン(※2011.2.3現在)、コメント欄の字の小ささは、40代に優しくないですよね><(少なくとも私は…)。どういじりまわしても、コメントのフォントだけを調整することができないので、近々デザインを変更しようかと思います。デザインは気に入っているのですが……残念。

本題です。
私もほぼ日は、ほぼ毎日閲覧しているのですが、最近は糸井さんの表紙の日記(?)をナナメに読むだけで、紹介していただいた山田ズーニーさんの存在は知りませんでした。本の内容を紹介してくださって、ちょうど私の言いたかったところが「そこそこ!」と痒いところに手の届くような感じでした。そしてもちろん、更に深いお話を、ポイントだけ教えていただいて、得した気持ちです。
今度から、ズーニーさんのコーナーも目を通してみますね。

フリーランスになった時のお話も興味深いです。

私のほうこそ、nyadameさんと共通する点があると言っていただけて、光栄です。
考えてみると、共通点は結構多いかもしれませんね。

私もnyadameさんと同じように「欲張らず大切に」仕事をしていきたいと思っています。
(自分の限界がわかるということも、よい経験ですよね。。)

ブログで紹介してくださって、ありがとうございます。
読者さんが多い素敵なサイトで紹介していただいて、恐縮です。。
私も、実は時々癒されに伺っています。沈黙しながらで、すみません。

あの素敵な古民家が懐かしいです。
Posted by サトウ at 2011年02月03日 18:25
お誕生日おめでとうございます。

おお!! 佐藤先生は1970(行くなら0K←なんのこっちゃ!!)だったのですね。
僕は1978(行くのやだ←だから意味わかない!!)です。
カウンセリングでお会いしてから4年くらい経ちますが、ひとつ個人情報を入手してしまいました!!

四十にして惑わず。
ですか。
40で、心が平原のようになったその先生、なんだか羨ましいです。

上記のnyadame様のコメントに、「点より線、線よりベクトルで自分を考え、語ることの大切さ」が記されていますが、僕はどうでしょうか。

間違いなく、人生がブツブツと途切れています。線になっているところもあれば、点のところもある。たった一本の連続した線になっていません。つまり、現在までの32年間が一つのストーリーとしてまだ完結していないんです。まあ、この歳で完結されたら困りますけど…。

感情を交えて記憶をだどってみると、「あの時は最高に楽しかった」、「あの時は最高に苦しかった」という記憶はどんどん出てきます。でも、それらが現在の自分に「繋がっていません」(良い意味での自分を形成する糧となっていない)。

ここで大切なことは、その大量の「記憶」たちに対して、どのように「意味づけ」を行っていくかですね。しかも「合理的な」(認知療法的)意味づけです。

例えば、「あの時長い間うつ病で苦しんだことによって、今は他人の苦しみを理解できるようになった」←これはゆるぎない事実です。

「人生山もあれば谷もある、それをならせば平らになる」←あんまり説得力がありません。

「テニスで優勝した経験が、人生において何が至福の瞬間かを教えてくれた」←これも事実ですね。

こうして、過去を現在につなげる作業をしていく中で、明日への希望につながるのかもしれません。

40になったとき、僕はどうなっているのか想像がつきませんが、今より「惑わない」自分でありたいですね。そのために、今は沢山「惑って」いてもいいんじゃないかと思ったりもします。

Posted by モルダー at 2011年02月13日 14:57
>モルダーさん

コメントありがとうございます。
個人情報をお知らせしていませんでしたね(笑)
勇気を出して、発表してみた…のではなく、一応、カウンセリングを始めた時からプロフィールには載せていたので、自分としては知っている方は知っているのかな?という感覚でした。

ところで、点と線のお話しですが、点がつながった後には、「全てがつながっていた」とか「無駄ではなかった」と思えるのかもしれませんが、そう思える時がいつくるのかは、人によるのかなあ、と思います。
今、私はある程度つながっているように感じるような気がしていますが、まだまだつなげられていないものもあるような気がするんです。
逆に、今そう思っていても、途中で切れてしまうように感じることもこれからあるかもしれません。

モルダーさんは、どんな線を描いていかれるのか、あるいはストーリーとして見え始めるのか、きっとこれからお感じになることと思います。

その時に、またこのお話の話をできるといいですね。

>ここで大切なことは、その大量の「記憶」たちに対して、どのように「意味づけ」を行っていくかですね。しかも「合理的な」(認知療法的)意味づけです。

ちょうど、このことと似たような意味の言葉を、載せようと思っていたところです。
それはまた次回に。
Posted by サトウ at 2011年02月14日 21:09
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