2010年03月05日

切れる包丁

CIMG3925.JPG

義母はよく季節の折々にいろんなモノを送ってくれます。
家の畑で取れた野菜や花、お米などと一緒に、お菓子や時には贈答品の食器など。

先日、長期滞在した時にわかったのですが、実はこれも贈答品だと思われる新品の包丁を「送ろうか送るまいか」迷っていたようです。
一応、包丁など刃物を送ることは「人生を切り開く」などと言われ、お祝いにも使われるようです。
でも、普通の荷物に包丁が入っていたら、どきっとしますよねあせあせ(飛び散る汗)
それでなかなか送れずにいた包丁を、やっと私に直接手渡すことができる、となったわけです。

これまでは、一人暮らしの時から長年使っていた「カジュアル」な包丁を使っていたのですが、さすがに切れが悪くなっていました。
そこに登場した本格派の包丁。ちゃんと包丁の名前までついています。

よく包丁は「切れないほうが危ない」といいますよね。
無心にもそれを信じていましたが。。
切れる包丁を使い始めて、既にに三度ほど指を切ってしまいましたもうやだ〜(悲しい顔)

もともとあまり器用でないのに加えて、多分、力の入れ具合が変わったせいだと思いますが、仮に、今までの包丁で刃が指に当たったとしても、「跡がつくだけ」とか「ちょっと切れちゃった」、となるところが、なにせ切れる包丁なので。。

キュウリの千切りをしていて、ちゃんと指を丸くしてあてがっていたのに、「スパンと指の皮が薄く切れて」しまったりもうやだ〜(悲しい顔)、カボチャが楽に切れるのはいいのですが、固い皮を半分だけ剥く作業をしている時に、ちょっとすべって当たった親指にしっかり切れ目が入ったり…前の包丁だったら、ここまでじゃないよなあ、という切れ方をしています。(で、流血。いつもなら止まるはずの血がなかなか止まらず、、何度か絆創膏を変えながら続行です)

その度に「なんで『切れない包丁のほうが危ない』とよくいうのに、切れる包丁で血を流すはめになるのか」と考えてしまうわけですダッシュ(走り出すさま)

切れない包丁のほうが危ない理由というのは、力を余計に入れるので手が滑った時に危ない。切れる包丁は軽い力でできるので、コントロールしやすい、といったところでしょうか。
それなのに、なぜ、です。

うーん。。

なんだか、職業病で、人生論に例えたくなってきました(カウンセリングでは、よく「例え話」を使います)。


ちょっと話が飛ぶように思われるかもしれませんが、私が思いついたことは、「正しいこと」の伝え方、です。

言葉の使い方や、人に何をどう伝えるか、というのはもちろん人の自由ですね。

例えば、正しいことに気づいている人は、ついそれを人に諭したくなったりします。
その時に、ストレートに正しいことを「スパン」というのがいいでしょうか。
それとも、相手を傷つけないように気をつかいながら遠まわしにいうのがいいでしょうか?

正しい答えはありませんね。

いくら言う側が意図を持っていても、受け手の感じ方は百人百様かもしれません。
そしてもし、受け手の感じ方として「傷ついた」としても、時間とともに、それが最高の治療になることだってあるかもしれません。だから、これが正しい、というのはいえないと思うのです。

ただ、結果として、言葉を発信する側と受信する側のズレが少ないほうがよいのではないかと思うのです。
良かれと思っていったことが、相手に深い傷を負わせてしまうのでは、哀しいことです。
もちろん、そのズレを少なくするためには、受信する側も努力が必要なわけで、そのために、「会話」があるわけですが。。


段々包丁の話とずれてきましたが、要は、道具も言葉も使い方によって、すばらしい<切れ味>となったり、相手に<傷をつける>場合もある…そんなことを伝えたかったのです。

カウンセラーとしては、「言葉の使い方」にはますます精進していきたいですし、包丁のほうも、、早く使いこなせるようになりたいものです。(切るのが怖くて以前の包丁に戻っている私…たらーっ(汗)



ちなみに。。
私の好きな詩の<一節>をご紹介しますドコモ提供


 正しいことを言うときは

 少しひかえめにするほうがいい

 正しいことを言うときは

 相手を傷つけやすいものだと

 気づいているほうがいい

 立派でありたいとか

 正しくありたいとかいう

 無理な緊張には色目を使わず

 ゆったりゆたかに

 光を浴びているほうがいい

 (―「祝婚歌」吉野弘―より)



さらにちなみに。
作者の吉野様は著作権に寛容な方のようで、インターネットで検索すると全文が読めると思います。全文を読んでもまた違った意味で、感慨深い作品です)
posted by サトウマリコ at 17:49| Comment(2) | ココロ
この記事へのコメント
この文章を読み終えて、いくら正しいことを言っても、仮に相手が正しいと思っていてもそれが的確に伝わらないっていうことって多々あることを最近すごく感じています。思ったんですが、そういうときってただ相手がNoと言っているだけでなく、タイミングというのもあるように思ったんです。時間がたてばYesになったり、自分の言いたいことがわかってくれたりって多々ありました。

その時点では素直に自分のいうことがどんなに正しくてもそれを受け止められないときってあると思うんですね。でも、そういうときは絶対に相手の意見に対して意見で対抗しないようにして、時間が解決する場合も多々あるって思って、けんかにならないように相手の思いをできるだけ受け止めようと思うようになりました。向こうだって悪気があって言っているわけでない場合も多々あるんですよね。そのとき虫の居所が悪かったり、素直に受け止めるだけの気持ちになっていない場合も多々あるんですよね。

自分なら相手のおかれた状況や気持ちなど考えて、そのうえで言えることはできるだけ相手が傷つかないように伝えようと思うことが多いですね。逆に相手のことを気にしすぎて思ったことを的確に伝えないと正しく自分の意思を伝えられず、相手に誤解させる原因を作ったりしかねないですからね。でもストレートに伝えるかどうかって実際にはすごく難しいところですよね。
Posted by Hakucho at 2010年03月06日 20:50
>Hakuchoさん

私の回りくどい文章を要約していただいた気がします(笑)

伝え方、受け止め方って、正しいものはないし、いろんな要素が絡みあっていますよね。コミュニケーションというものは、簡単ではないなあ、と感じることがよくあります。

逆に、裏表なく単純明快ですぱっとしたやりとりは気持ちいいなあ、と感じることも多いです。
なかなかそういった関係をつくるまでには時間がかかることもあるでしょうね。
Posted by サトウ at 2010年03月09日 12:09
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