先日ふとある紙面で、石川啄木の歌を目にする機会がありました。
岩手出身の彼の歌には故郷を詠んだものも多く、一見シンプルな言葉のつながりのようでいて、彼の感じた「一瞬」と同じものをしっかりと共有させてくれ、不思議と深く心が癒される瞬間があります。
そこで久しぶりに手元にある「一握の砂・悲しき玩具」という短歌集をぱらぱらとめくってみました。
好きな歌、感じ入る歌はたくさんあるのですが、その中で、個人的に忘れられない歌が一首あります。
盛岡の中学校の
露台(バルコン)の
欄干(てすり)に最一度(もいちど)我を倚(よ)らしめ
私がこの歌に出会ったいきさつをお話すると、高校生の時、担任だった国語の先生が、ある日私を職員室に呼んで、この歌が書かれた紙を渡してくださったのです。
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それにはどういう意味があったのかというと、その先生流の私に対するある意味「お説教」だったのです。
先生から見ると、私の高校生としての生活態度はめちゃくちゃだったのかと思います。
どういうのをめちゃくちゃというのかは、、いろいろあるとしても、学校というのは規則があるところですので、それを完全に守れていない私を心配してくださったのかと思います。
そこで、「大人になってから、あの高校時代に戻りたいと思っても、二度と戻ることはできないんだ、と啄木は詠んでいる。この貴重な高校時代を、毎日大事に生きなさい」というような意味のことをおっしゃりながら、その紙を渡してくれました。
この、ちょっと一風変わったお説教は、正直、新鮮に感じました。
なにしろ、ひとつの歌と特別な出会いをさせてくれたわけです。
あまり意識していませんでしたが、文学は好きだったので嬉しかった気持ちはありました。
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私は、高校生の頃、決められた服装を守らない日が多くありましたし、テストでは所謂赤点を取ったことも結構ありました。
おかげで、いろんな先生に「叱って」いただく機会がありました。
いろんな先生がいろんな「叱り方」をしました。
いろんな先生の「叱り方」を通して、私はより深く、その先生の人となりを知ることができたように思います。
優しく諭してくれる先生、言葉は怖いけど本気さを感じない先生、よく声をかけてくれる中で時々注意してくれる先生。名前も知らないのに、廊下でいきなり襟首を掴む先生。事情をよく聞かないままに怒り出す先生。
随分、私は高校生の頃、手を焼かせた良くない生徒だったと披露しているようで、正直書くのを少しだけためらうのですが、続けます
私自身は、高校時代が実は人生の中で一番好きと言える時間だったかもしれません。
高校生の頃もリアルタイムでそのように思っていました。
その高校が大好きだったのです。
ただ、自分の力だけでは解決できない悩みがあって、私はそれをサインとして外に出すことが必要でした。
もちろん、無意識だったと思います。
そして、そのサインに返ってきた反応が、上記のようなものだったわけです。
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今は私は社会に出て、学校という組織の意味やその中での教職員の役割が何か、ということが理解できます。
ですから、その時にとった先生方の行動に良し悪しは感じません。
ただ、一方的に叱るだけで、私の気持ちを聞こうとしてくれなかったのは共通しているように思います。
先ほどの短歌を教えてくれた担任の先生にしても、どうして一言「何か悩みがあるのか」と訊いてくれなかったのだろう、という気持ちがないわけではありません。
あるいは、訊かれたのかもしれないですが、訊かれても、答えられなかったと思いますし、もし私が悩みを打ち明けたとしても、その先生にはなす術がなかったかもしれない、とも思います。
それもまた、先生と生徒という立場や距離感がそうさせている部分もあるのだろうと、今は思います。
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私たちカウンセラーは、カウンセリングルーム以外で、利用者の方と会うことはありません。
そこでカウンセラーに話すかどうかが、直接利害関係に結びつくことがありません。
だから、利用者の方は安心してカウンセラーに話してくださる部分も大きいと思います。
けれど、皆が皆、カウンセリングを受ける環境にあるわけではありません。
だから、身近なところに、少しでもいいから、積極的に<相手の気持ちを訊ねる>人がいれば、気持ちが楽になる人がたくさんいるだろうな、と思います。
(ちなみに、私自身も、学校の先生以外に「聴いてくれる」大人や、友人がいたことが、とても助けになったのだと思います)
そして、そんな人が増えていくには、まず自分が相手の気持ちを気づかったり、訊ねたり、そんなことを意識してみるのもいいと思います。
最近、傾聴ボランティアなど、聴くことの大切さが注目を浴びてきていますが、「聴かなければ」と構える前に、まずは目の前の人に「訊く」ということでも変わることがあるかもしれません。
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今日も長くなりました
というわけで、上に挙げた啄木の歌は、私にとって少しほろ苦い思い出なのです。
いつもブログ楽しく読ませてもらっています。
啄木は私も感銘するところが多いです。
コメントありがとうございます。
Hakuchoさんも、啄木に感銘を受けていらっしゃるのですね。
このブログを書くときに、啄木の年譜を見て、改めて彼の人生を想像しました。
その中から、多くの人を惹きつける歌も生まれてきたのだろうと納得できた気がします。