2007年02月04日

括れない

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久しぶりのオフです。
体は(例によって)眠いよーとメッセージを発信していましたが、今日は野村胡堂・あらえびす記念館にて文章講座があったのでしたドコモ提供
車での移動だったため心配していた雪道も昼には大分融けていました。
でも記念館の中にある贅沢な大きさの窓から外を見ると、きれいな雪景色が広がっていて、ゆったりした気分になれました。

そして最終回の今日、ちゃんと修了証までいただいてきましたぴかぴか(新しい)
活躍されている作家の先生方のお話を間近でお聴きするというだけあって、皆興味津々であっという間の半年でした。受講生同士も大分交流を深められた様子。私にも貴重な出会いがありました。


今日の講義の中で、差別用語の話題がありました。
マスコミの規準などを参照すると、自分が思っていたより遥かに多くの差別用語があります。
使い方によって、書き手と読み手の間で問題が紛糾することも、私が知っている以上にあるのだと思います。

対立した事例を振り返ってみると、表現する側、差別だと感じる側それぞれに主張するだけの感情があることは想像に難くないな、という感じがします。
でも、その事例によって、実際にどんな言葉を使ったか、どういう文脈だったか、小説なのか記事なのか、それによって第三者としての感じ方は微妙に違ってくるような気もします。その言葉を差別と捉えるかどうか一概に答えを出すのは、本当に難しいものだと思いました。

少し別の話ですが、時々取材で「どんな方がカウンセリングに来られるのですか?」と訊かれることがあります。
今の私には一言でお答えするのはとても難しい質問です。
確かに、新聞にはその時代その時代で流行のようなキーワードが踊ります。
でも、そのキーワードに当てはまるのは、その人のある一部分であり、抱えている悩みは別のことであったりもします。
たとえ、何かの観点で共通点を表すことができたとしても、それでもお一人おひとり内容は違います。
つまり、「カウンセリングに来る人」を括ることはできないのです。

あまりに大きな括りで、決められた答えを出すということは、ひとつ間違えると目の前の誰かの事情を見過ごしてしまうかもしれない。
時代に敏感でありながらも、目の前にいる友達や家族、カウンセリングで出会う方々お一人ひとりのことをきちんと見つめられる目を持ちたいと思っています。
posted by サトウマリコ at 21:55| Comment(0) |
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