2008年05月21日

カウンセリングルームの窓5

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「どんなときにカウンセリングルームを使えるか・その4」ですドコモ提供

これまでは、抽象的なお話が多かったので、もう少しイメージがわくように具体的なお話をしたいと思います。

「カウンセリングにはどんな方が来られるのですか?」という質問をよく受けます。
その度に答えに困ってしまうのが正直なところ。「どんな方」というのは、どんな悩みを持った方かということなのでしょうが、悩んでいる内容なんて、本当に人それぞれだからです。そして、一人の人の悩みがひとつとは限らないからです。

カウンセリングではなくても、世の中にはいろんな「相談窓口」がありますが、多くは、相談をする側が何の相談をするのかある程度の内容を絞って、その窓口を目指すのだと思います。
例えば、法律なら法律の専門家、税金なら税金、離婚なら離婚、仕事なら仕事、という感じです。
そして、そこには専門のスキルを持った方が待っているわけです。

カウンセリングはいわば、心の専門家ということになるのでしょうが、ひとりの人が最初は「近所の人とのつき合い方」について相談にいらしたとしても、お話をしているうちに子育ての話になったり、自分自身の性格についての悩みになったり、とお話する内容は多岐に渡ります。
彼とうまくいかない、という相談から、子供の頃からの親との関係に話が移ることもありますし、仕事のことでの相談から恋愛相談に変わることもあります。

というわけで、「どんな方」とひとくくりにするのが難しいのです。
心の問題は、一つひとつ縦割りに見ていくのではなく、一人の人間を全体として見ていくこと。東洋医学の考え方に近いかもしれません。

前置きが長くなりましたあせあせ(飛び散る汗)

要するに「具体的に書こう」と自分で言っておきながら、一回で全てを説明するのは難しいかも、と思っているのです。

ですので、少しずつということにしますね。

それから、もうひとつだけ前置きを加えさせていただくと。。

どうやって具体的に書こうかと考えましたが、いくら特定の人の例ではないといっても、これまでカウンセリングを受けられた方が、「私のことだ」と思う可能性はあります。どうしても、大まかなくくりをすれば、似ている悩みが多いからです。
なので、私自身が、これまでのことを振り返ってみて、「こんな時にカウンセリングを受けていたら役に立ってた」ということを抜き出してみようかと思います。



最初に思いつくのは、「進路について迷っている時」です。


遥か昔になりますが、高校受験の時にものすごく迷いました。
受験する学校を選ぶのに、自分の成績とか、家の事情とか、その他いろんな要素がありました。

まだ自分というものがしっかりしていなかった中学生の私は、親の意見を聞けばそのとおりの気がするし、先生の話を聞けばそうなのかな、という気がするし、兄妹や友達……人の話にいろんな影響を受けながらも、最後の最後まで迷っていました。

今思うと「自分のほんとうの気持ち」と「さまざまな条件」がマッチしていなくて、葛藤していたのだと思います。

最終的に、私が「後悔しない答え」を出せたのは、塾の先生に相談した時でした。

多分その先生は、私が本当に行きたい学校を見抜いていたのだと思います。
こんなたとえ話をしてくれました。

「もし先生に好きな人がいたとしたら、告白しないであきらめるより、自分の気持ちを伝えてからふられるほうが後悔しないと思うな。ボクサーが試合をしないであきらめるのではなく、リングにあがって勝負して負けるのと同じ。先生だったら、負けるかもしれないと思っても、リングに上がってから負けたいし、負けてもまたチャレンジするかもしれない」と。

その時の、自分の心の中の、霧がぱーっと晴れた感じは今でも鮮明に覚えています。
それで、一気に覚悟が固まったんですね。
次の日の朝、担任の先生のところへ行き、別の学校に出す寸前だった願書を書き換えてもらいました。

もともと「条件」があっていなかったので、自分の気持ちを通すことでひずみが起こる可能性はありました。そして実際にひずみが起きたのですが、自分にはそれを乗り越える覚悟ができていたから大丈夫だったのです。

今でも、あの時あの先生に相談しなかったら、自分の人生はどうなっていただろうと恐ろしくなります。
それなりに別の人生もあったでしょうが、芯のところが今の自分とは違うものになっていたのではないか、と思います。



当時はカウンセリングのカの字も知りませんでした。
たまたま、塾の先生の言葉が、私にとって進路を決める決定的なものとなったのですが、カウンセラーではなくても、その時に塾の先生がしてくれたことは、カウンセリングに共通することがあります。

1 まず、今の自分がどのような状態でいるのか、何をしようとしているのか、たとえ話をすることによって、客観的にイメージさせてくれたこと。

2 答えを押しつけるのではなく、選択する自由をゆだねてくれたこと。同時に自分で選択する、ということで、自分で自分の人生に責任をとる、腹をくくるという効果があったこと。

3 そうはいっても、どうしても、先生の言葉には先生の価値観が滲み出ます。その価値観が、自分にとって尊敬できるものであったこと。



カウンセリングでなくても、人生の岐路に立ったとき、すばらしい人や言葉に出会うことによって、自分自身の迷いがすっと晴れることがあります。
それも素晴らしいことです。



私がカウンセリングでめざしていることは、基本的には1と2。

自分の状況を客観的に見つめることができるようにお手伝いします。
無意識の中に埋もれさせていた、自分自身で作り出していた規制や欲求にも目を向けていきます。

その上で、「正しい答え」を求めることはしません。それからどうするかは、カウンセリングルームで答えが出ることがあってもいいし、いつかどこかで何かが変わることがあってもいいと思います。



「進路」の例を出しましたが、考えてみると、私たちは日々多くの選択肢を持ちながら生きていますね。
何かに迷った時、人の意見に左右されずに落ち着いて自分の気持ちを見つめ直したい、という時にカウンセリングはおすすめです。

最後になりますが、上に書いた3についてです。
相談相手が、カウンセリングの技術だけを持っていればいいか、というとそうではありませんね。
技術云々ではなく、「初めて会った人でも『この人なら』話せる」という部分が大きいのではないでしょうか。

おそらく終わることがない修行だと思いますが、カウンセラーである前に、自分自身として、心して精神的な鍛錬を積んでいこうと思っています。















posted by サトウマリコ at 12:09| Comment(0) | カウンセリング
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