2014年06月19日

自分らしさ

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スポーツ選手の試合終了後のインタビューを聞いていると、よく「自分の○○ができた(できなかった)」という言葉を耳にします。

たとえば、「自分の滑りができました(できませんでした)」「自分たちの野球ができたと思います(できなかったので悔しいです)」という具合です。

気をつけていると、ほとんどのスポーツでこの言葉を耳にしますし、スポーツでなくとも、何か自分の専門を持っている方は、この「自分の」というパフォーマンスや表現をとても大切に考えているように思います。

更にいうと、日々の生活の中でも、「自分らしさ」「自分探し」という言葉を耳にしますが、それも「自分の生き方」や「自分の好きなライフスタイル」といったように「自分の○○」を持っていたい、という欲求が多くの人にあるのではないかと思います。


私も、カウンセリングを始めた頃に、カウンセリングの師に指導を仰ぐ中で「自分がどういうスタイルでやっていいのかわからない」という意味のことを相談したところ、酷く叱られたような記憶があります。まだまだ「自分のカウンセリング」を語るような段階ではない、ということだったのだと思います。

今思うと、いろいろなタイプのカウンセラーを見る中で、自分はどのようなカウンセラーになりたいのだろう、という拠り所が欲しかったのだと思いますし、それは常に自問自答していくものだという気持ちは今も変わりありません。



「私の○○」と言い切れるということは、仕事でも趣味でも生活習慣でも、自信を持って、これが自分のやり方だ!と自分自身が納得できているということだと思います。

その域に到達するにはかなりの努力の積み重ねが必要な場合もあるでしょうし、逆に何もしなくとも「あるがまま」の自分を好きでいられる、認めていられる、ということでもあるのではないかと思います。


他の人と自分を比べることで、自分に自信がなくなってしまう時は、一度、この「私の○○」ってなんだろう、と考えてみることも大切かもしれません。

そして、「自分の○○」があると同時に、他人にも「自分の○○」があるということ、その「違い」を、どう受けとめ、どういう距離感を持つか、というコツをつかむことによって、気持ちが楽になったり、自分のよい所を更に引き出せたりするのではないか、と思うのです。



ところで「私のカウンセリング」ですが、その頃から大分経ちました。
経験の少なかった頃とは違い、時に「私はこれでいい」という感覚を持てることも多くなりました。
どういうことを指して「私のカウンセリング」というのか説明するには、専門的な部分が多いので省きますが、その中のひとつに「奇をてらわなくてよい」というものがあります。

これもたとえですが、「魔法のように」とか、「カリスマ」とか、「不思議な感じ」といったイメージではなく、利用者さんが知らなかった方法や答えがあるなら、私の知識を使って一緒に辿り着けるように、するべきことをする、ということです。

けれど、それで終わりではなく、本当にこれでいいのか、という気持ちも同時に持ち続けてカウンセラーとして成長し続けていきたいと思っています。


posted by サトウマリコ at 11:46| Comment(0) | ココロ
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