人は、時に自分の<気持ち>や<感情>を他人に伝えることがあります。例えば、友人同士の会話などでは素直に思ったことを口にできることも多いかもしれません。
なんとなく、の範囲なのですが、自分がこれまで聞いたり自分が言った言葉を思い浮かべると、もしかするとマイナスの感情を伝える言葉が多かったような気もします。
でも例えば「これいいね」とか「おいしいね」とかは自然に耳に入ってきていて、気にとめていないだけかもしれません。
「嬉しいね」、「楽しいね」は、本当に何か特別の時に聞く感じがします。
まして「今、すっごく幸せ!」という言葉を聞いたことは、あらためて思い返してみても、数えるくらいしかないような気がします。
なぜだろう、と考えてみると、これもまた予想ですが、自分が今幸せだと伝えることというのは、少し思い切りが必要なのではないのでしょうか。相手が幸せかどうかわからないのに、自分が「幸せ!」と伝えたところで、どう感じるかわからないからです。もしも、相手が口には出さないけれど、深く悩んでいたり、落ち込んでいたとしたら、幸せ自慢をしてしまうようで、申し訳ない、そんな遠慮がちな気持ちになるのかもしれません。
もうひとつ考えた理由は、人は本当に幸せだと思える瞬間そのものが、他の感情よりも少ないのではないか、ということです。
いつでも、何かしら悩みがある、そんな人は少なくないのかも、と思います。
今、特に問題がなかったとしても、先々のことを考えて、不安になったり心配になったりすることもあるかもしれません。
それから、子供の頃から、幸せというのは「努力する」「頑張る」などの代償と引き換えに、初めて手に入れることができるものだ、そんなふうな刷り込みを、いろいろな経験を通して学んできた、ということは考えられないでしょうか。
自分の胸に手をあてながら考えてみても、やはり何か自分が努力して結果が出る、という過程を経ることによって、初めて手に入れられるようなもの、そうしなければ手が届かないもの、というイメージがあります。
ただ、振り返ってみると、「ああ自分は今幸せだなあ」と思った時はあって、それは努力して手に入れたのか、と言われるとそうでもなかったりします。いろんな出来事の流れの中で、今自分がおかれている環境が「幸せ」だということに、ふと気づいた、そんな感じでした。
でも、やっぱり大声で「私は今幸せなんです!」と言える相手は、いなかった、というかあまり口にしてこなかったと思います。
ところで、どうしてこんなことを考えたか、というと、他人からあまり聞く機会がなかったこの「幸せ」という言葉を、最近聞いたのです。
その人は、本当に幸せそうに「幸せ」と言っています。
そうして気づいたことは、その言葉を聞いた自分も、ものすごく幸せな気分になれた、ということです。
堂々と「幸せだ」と発表することは、こんなに他人を気持ちよくさせるのだ、と実感しました。
一人でも身近な誰か、応援している誰かが幸せだと感じている、という事実は、自分の幸せの一部だと私は感じます。
今は特に、「こんな時に、喜んだり楽しんだり祝ったりしていいのか」という風潮もあるかもしれません。
もちろん、時や場所を考えて、相手を思いやる気持ちは大切だと思います。
でも、いつだって、世の中には、幸せを感じている人もいれば、その逆のことを感じている人も同時に存在しているはずです。
自分が応援したり関わったりしたとすれば、その相手に「すごく幸せです」と表現してもらえれば嬉しい気持ちになるでしょうし、仮に関わっていなくても、喜べる人はいると思います。
言わないことが気づかいになる場合もありますし、言うことが同じく気づかいになる場合もあるのだと思います。
これまで、もしかすると「幸せと思ってもいい時にそう思わなかった自分」や「幸せな時に素直にそのことを表現しなかった自分」がいたとしたら、その回数だけちょっと損したかな、そんな気分になりました。
そう思わせてくれた方は、ご縁があって、ここ数ヶ月で3回ほどお会いしてお話しできた方です。
快諾をいただきましたので、その方のブログを紹介します。
東日本大震災日記
http://takatasango.da-te.jp/
書いていらっしゃるのは、ご主人ですが、奥様とお二人で過ごされています。奥様もまた私の心に響く「何が幸せかは自分が決めることだと思う」という言葉をおっしゃった方です。
震災の日から、現在までのことが書かれています。
6月21日を最後に、避難場所だった内陸の温泉地を離れ、旅立たれるようです。
様々な想いを綴られていますので、震災にまつわる話も含めて、お読みになる方の感想はそれぞれだと思いますが、私としては、随所に出てくる「今幸せを噛みしめている」という言葉が心に響いたのです。お会いして直接お聞きしたこともあるので、特にそう感じるのかもしれません。
パワーは伝わりますね。不思議なものです。どこかで誰かが呟く「幸せ」も少しずつ広がっていきますように。
私も「幸せを感じる力」と、必ずしも言葉とは限りませんが「幸せを表現する力」を磨いていきたいと思います。